東京高等裁判所 平成7年(う)827号 判決 1997年1月29日
本籍
東京都渋谷区大山町三九番
住居
同区大山町三九番一六号
会社役員
松本孝司
昭和二五年一月三〇日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成七年三月二二日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官吉田一彦出席の上審理し、次のとおり判決する。
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、主任弁護人山崎龍一、副主任弁護人塚越豊連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官井上隆久名義の答弁書に、それぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。そこで、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討し、次のとおり判決する。
一 株式の帰属に関する事実誤認の主張について
論旨は、要するに、株式会社カメラのさくらや(以下「さくらや」という)に譲渡された株式会社新宿西口メガネ(以下「新宿西口メガネ」という)の株式六万九六〇〇株(本件株式)は、株式会社トス(以下「トス」という)に帰属するものであって、被告人に帰属するものではないから、その譲渡益が被告人に帰属すると認定している原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというのである。すなわち、被告人は、新宿西口カメラの全株式である二万株を、同社の代表取締役であった河村洋治から買い受けた後、これを株式会社泰共(以下「泰共」という)に譲渡し、さらに同社は、昭和五九年ころ、これをトスに譲渡したものであるというのである。
1 検討するに、被告人は、原審公判の途中から論旨に沿う供述をし、当審公判においても同様の供述をしている。しかしながら、原判決が挙示するその余の証拠によれば、以下の事実が認められ、これによると、本件株式が被告人に帰属することは明らかである。
新宿西口カメラは、資本金一〇〇〇万円の株式会社であり、メガネの小売販売業を営んでいたが、経営不振のため、昭和五六年七月二四日から商法上の整理手続が行われていた。被告人は、昭和五七年七月二二日ころ、新宿西口メガネの代表取締役であった河村洋治から、当時の同社の全株式である二万株(一株の券面額は五〇〇円)を買い受け、昭和六一年、整理監督員の田邨正義弁護士の指導に従い、新宿西口メガネの再建に努力した従業員の労に報いるとともに、今後の再建に向けての活力を得ようとの見地から、二万株の三〇パーセントに当たる六〇〇〇株につき、同社の店長の長嶋正男に三六〇〇株、マネージャーの金原明廣、齋藤明、相馬富太吉に各八〇〇株ずつ、無償で譲渡し、その余の一万四〇〇〇株は、被告人が、自己名義及び借名名義で保有していた。
新宿西口メガネは昭和六一年七月二二日、当時の株主にその持株数に応じて新株を割り当てる方法により、資本金を四〇〇〇万円に増資し、同社の発行済株式総数は八万株となった。株式払込金三〇〇〇万円は、被告人が、長嶋正男ら従業員四名分の合計九〇〇万円についてもこれを立替払する方法により、一括して支払い、後日、従業員四名の給与及び賞与の増額分の中から返済させる方法により、立替金の清算をした。増資後、持株数は、被告人が五万六〇〇〇株、長嶋正男が一万四四〇〇株、金原明廣、齋藤明、相馬富太吉が各三二〇〇株となった。
長嶋正男ら四名は、昭和六一年一一月二五日ころ、被告人の要請により、その保有する株式の各半分を被告人に譲渡し、さらに相馬富太吉は、昭和六三年一月二九日ころ、退社に際し、残り全部の株式を被告人に譲渡した。その結果、被告人の保有株式数は六万九六〇〇株、長嶋正男ら三名の保有株式数は合計で一万〇四〇〇株(以下これを「従業員株式」という)となった。昭和六三年四月、新宿西口メガネの整理手続が終結した。
被告人は、さくらやに対し、そのメインバンクである三菱銀行を通じて、新宿西口メガネの株式を譲渡したい旨の申込みをし、企業買収等を担当している同銀行情報開発部の仲介により、さくらやと交渉した結果、昭和六三年一一月二二日、全株式八万株を同年一二月二一日までに代金二〇億円(一株の単価は二万五〇〇〇円)で譲渡し、従業員株式については、被告人が責任を持って三名の従業員から譲渡の同意を取り付ける旨の基本合意書を、さくらやとの間で取り交わした。さくらやは、同日、手付金として、額面二億五〇〇〇万円の三菱銀行新宿支店振出しの自己宛小切手を被告人に交付するとともに、二億五〇〇〇万円を三和銀行新宿新都心支店の被告人名義の普通預金口座に振り込んだ。同小切手は、同日付けで決済され、同金額が三菱銀行新宿南口支店の被告人名義の普通預金口座に入金された。被告人がさくらやとの間で取り交わした基本合意書、株式譲渡契約書、合意書等のいずれにおいても、被告人が株式の譲渡人である旨表示され、かつ、被告人自身が、譲渡の当事者として署名・押印している。また、右の各契約及びそれに至るまでの交渉を担当したさくらやの代表取締役羽倉秀秋、及び同社のアドバイザーとして仲介の任に当たった三菱銀行の担当者らは、被告人が本件株式の保有者であると被告人から聞かされており、実際にも、被告人が本件株式の保有者であって右各契約の当事者であるとの認識で行動しており、トスが実質上の保有者であるが、何らかの事情で被告人が契約当事者となっているというようなことは一切聞知していなかった。さらに、これに先立って株式を譲渡した従業員らも、譲渡の相手は被告人である旨認識しており、その際作成された株券売渡書にも買受人が被告人であると記載されている。さくらやは、被告人の要請により、同月二八日、被告人との間で合意書を取り交わした上、翌二九日、追加手付金として、五億円を協和銀行(現あさひ銀行)赤塚支店の被告人名義の普通預金口座に振り込んだ。被告人とさくらやは、従業員株式についての譲渡の同意を得られないまま、正式契約を締結することとし、昭和六三年一二月二一日、八万株のうち従業員株式一万〇四〇〇株を除く本件株式六万九六〇〇株を譲渡する旨の株式譲渡契約書を取り交わした。同日、被告人は、さくらやに株券を交付し、さくらやは、残代金一〇億円のうち、従業員株式分の代金を除いた七億四〇〇〇万円を、協和銀行赤坂支店の被告人名義の普通預金口座に振り込んだ。
2 これに対し、論旨に沿う被告人の供述は、不合理な点が多々あり、客観的な裏付けを欠くばかりか、被告人自身、捜査段階及び原審第一回公判で事実を認める供述をしていることに照らし、到底信用することができない。
所論は、被告人の捜査段階での自白調書には信用性がないというが、その供述内容は、客観証拠の記載内容や信用性が認められる関係人の供述内容によく符号し、またそれ自体不自然、不合理な点は認められず、原審の第一回公判で事実を認めていることに照らしても、十分にこれを信用することができる。所論は、被告人は、国税当局の係官や検察官に対し、当初から、本件株式は実質的にはトスに帰属する旨の供述をしていたと主張し、被告人も原審でこれに沿う供述をしているが、そのような形跡は一切窺えず、むしろ、被告人は、検察官による取調べの当初の段階では、借名株の点についてのみ、これが借名者に帰属する実質株であるとの弁解をしていたが、その後、捜査が進展した段階で、右弁解は嘘であって、真実は、借名者でなく自分に帰属する旨の訂正供述をしていることが認められるのである。また、所論は、被告人は、「自分の意に反することが書いてある調書にはサインするな」との原審弁護人のアドバイスもあって、検察官調書への署名・押印を拒否していたが、検察官から、「無罪を争うことになれば、五、六年の長期勾留になるし、その間、会社はもとより、家庭も崩壊し、一家離散になること、商人として再起不能になること、罪を認めれば保釈になること、運がよければ執行猶予が付くかもしれないこと、刑期も一年か一年半くらいで、五、六年も勾留されるのと、どちらが得かよく考えろ」などと何度も言われ、起訴日直近の四日間原審弁護人の接見がなかったため、短い刑期で再起を図るしかないと一人で判断し、勾留満期日(起訴日)の前日になって、一挙に署名・指印してしまった旨主張し、被告人も原審公判でこれに沿う供述をしているが、被告人は捜査段階の当初から弁護人を選任していて、接見の際に弁護人から助言を受けていたのに、接見のなかった起訴日の前日に、それまで署名を拒否し続けていた意に沿わない検察官調書に一挙に署名・指印してしまったというのは、不合理かつ不可解な行動であって、右供述を信用することはできない。
3 所論は、これに沿う被告人の供述には裏付けがあると主張するので、根拠とする主な点について判断を示しておく。
まず所論は、トスが被告人から二万株を取得した根拠として、増資の際の株式払込金三〇〇〇万円がトスから出金されていると主張している。すなわち、右三〇〇〇万円は、昭和六一年五月三一日協和銀行赤坂支店に預けた被告人名義の自動継続定期預金(四〇〇〇万円)が同年七月二一日解約され、トスの協和銀行赤坂支店の当座預金口座に入金された元利合計四〇〇一万三八〇五円の一部であり、同日トスの右預金口座から三〇〇〇万円が出金された上、トス振出しの小切手により、株式払込金として、新宿西口メガネ名義の同支店の別段預金に入金され、同月三〇日同社の普通預金口座へ振替入金されているというのである。なるほど、関係各証拠によれば、所論主張の出入金の事実自体は認められるが、三〇〇〇万円の株式払込金の原資となったのは、被告人名義の定期預金であるところ(所論は、この定期預金は、実質的にトスに帰属する協力預金であると主張するが、これを認めるに足りる証拠はない)、トスの振替伝票写及び総勘定元帳等の関係各証拠によれば、トスの経理処理上、右の定期預金は被告人からの貸付金に計上されている。さらに、昭和六一年七月二一日の三〇〇〇万円の株式払込金は、被告人への仮払金として計上された上(所論は、このことが記載された同日付け振替伝票は国税当局による押収中に何者かにより改ざんされたものであると主張するが、そのような形跡は窺えない)、その後、期末である昭和六二年一月三一日に、仮払金が被告人に対する貸付金に振替計上されていることが認められるのであるから、この出入金の事実からしても、被告人が、トス振出名義の小切手を用いて実質上被告人の計算で株式払込金を払い込んだものと認めるほかはない。なお、所論は、右振替伝票の三〇〇〇万円の仮払金は株式払込金とは無関係であって、同日に前記当座預金口座から出金されたもう一口の三〇〇〇万円が株式払込金に充てられたと主張するが、この主張を認めるに足りる的確な証拠がないばかりか、この主張のように右金員がトスの計算で払い込まれたものであれば、トスの帳簿上、株式払込金や株式として資産計上されるはずであるのに、そのような会計処理がなされた形跡はない。この点につき、所論は、当時、新宿西口メガネが整理手続中であって、トス名義での株式取得が管理人から固く禁じられていたことによると主張するが、新宿西口メガネ備付けの株主名義上トスへの名義書換えができなくても、これとは別会社であり管理人の権限の及ばないトスの帳簿に資産計上することが妨げられるものではない。また、所論は、もしも被告人が自己の計算で新株六万株を取得したのであれば、被告人名義の四〇〇〇万円の自動継続定期預金を解約してトスの預金口座に入金する必要はなく、それを直接株式払込金として支払えばよいはずであると主張するが、この主張は、本件株式が被告人に帰属するとの認定を左右するものではない。さらに、所論は、新宿西口メガネの株券がトスの金庫に保管されていたことが、本件株式がトスに帰属することの根拠になると主張するが、トスの実態は被告人の個人会社なのであるから、右のような保管状態であったことに何ら不思議はない。
次に、所論は、トスが本件株式の保有者であることの根拠として、昭和六一年一一月二五日ころの従業員からの株式一万二〇〇〇株の買取資金が、トスから出ていると主張している。すなわち、同日、協和銀行赤坂支店のトス名義の預金口座から六〇〇万円が払い戻されていて、これが買取金一二〇〇万円(一株当たり一〇〇〇円)の一部に使われたというのである。しかしながら、関係証拠によれば、その買取価額は、合計一〇二〇万円(長嶋正男が七二〇〇株×七五〇円=五四〇万円、その他の三名がいずれも一六〇〇株×一〇〇〇円=一六〇万円)であることが認められるから、金額が相違する。そればかりか、同日右預金口座から他に二三五万円が払い戻されるとともに、この合計八三五万円について、被告人への貸付金として六〇五万円が、他の用途として二三〇万円がそれぞれ振り替えられていることが認められるから、所論主張の払戻金が仮に買取の原資であったとしても、買取資金の六〇〇万円は、トスの被告人に対する貸付金六〇五万円の中から支払われ、右買取は被告人の計算においてなされたとみるのが相当である。
さらに、所論は、本件株式売却代金全額が入金された被告人名義の預金口座は、実質上トスのものであると主張し、その根拠として、トスの法人税確定申告書添付の内訳書に、被告人名義の預金がトスに帰属するものとして掲載されていることを挙げている。確かに、右申告書及び同控写によれば、被告人名義の預金でありながらトスの預金として複数の定期預金が掲載されていることが認められる。しかしながら、右入金された口座は、いずれも普通預金であって、掲載されているものとは預金の種類を異にしていて、これらに該当しないことは明らかであるから、所論は根拠を欠き、理由がない。なお、所論は、右入金された普通預金口座の通帳や印鑑がトスの金庫で保管されていたことを挙げ、この預金が実質的にトスに帰属する根拠とするが、前記株式の保管状況に関する主張について判断したのと同様の理由で、この点も根拠となり得るものではない。
なお、所論は、平成二年七月二五日に成立した和解で支払われた和解金八三〇〇万円のうち合計六四〇〇万円が協和銀行赤坂支店等のトス名義の各当座預金口座に入金されていることから、被告人が右和解金をトスの金と考えていたこと、ひいては本件株式をトスの保有と考えていたことが裏付けられると主張する。しかしながら、関係証拠によれば、右の裁判上の和解は、本件株式の譲渡後、従業員株式のさくらやへの譲渡が容易に実現しなかったこと等に端を発し、さくらやと新宿西口メガネが被告人外三名を相手に提起した仮処分事件において、右同日、トス及び従業員株を保有する従業員三名等が利害関係人として参加した上成立したものであって、その条項は、本件株式は被告人等がさくらやに譲渡済みであってさくらやに帰属することと、従業員株式は従業員三名に帰属することを確認し、さくらやは被告人に対し和解金七〇〇〇万円の支払義務があることを認めて和解の席上授受が終わったことを確認し、従業員三名は被告人に対し連帯して和解金一三〇〇万円の支払義務があることを認めて和解の席上授受が終わったことを確認することなどを内容とするものであって、所論の証左となるものではない。むしろ、トスの総勘定元帳上、合計六四〇〇万円は、いずれも被告人からの長期借入金として処理されているのであるから、右和解金は被告人に帰属することの証左というべきである。
4 その他所論にかんがみ検討しても、本件株式が被告人に帰属し、その譲渡益が被告人に帰属するとの前記認定を左右する証拠を見いだすことはできない。論旨は理由がない。
二 被告人の故意に関する事実誤認の主張について
論旨は、要するに、被告人は、本件株式がトスの保有するものと思っていたので、株式の帰属主体に関する事実につき錯誤が存在することになり、脱税の故意が阻却されるから、これがあると認定している原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというのである。
しかしながら、これまでに判示した経緯に照らすと、被告人が本件株式の帰属主体がトスではなく被告人であることを知悉していたことは明らかであるから、原判決に事実の誤認はなく、論旨は理由がない。
三 法律の錯誤に関する法令適用の誤りの主張について
論旨は、要するに、被告人は、三菱銀行の担当者から、「株式の持ち分が全体の一五パーセント以下のときは、株式譲渡益に課税がされない」との説明を受け、これを信じていたもので、この点に法律の錯誤があり、かつ錯誤することに重大な過失がないから、刑法三八条三項ただし書により刑の軽減措置をしていない原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあるというのである。
関係証拠によれば、被告人は、さくらやへの譲渡に際し、自分が保有する本件株式につき、これが発行済株式総数八万株の一五パーセント以下になるように分散させた上で借名名義を用いていたものであり、その動機は、持株比率が右の数値以下であれば譲渡益が非課税になるとの知識を得ていたことにあると認められる。しかしながら、同時に、被告人は、非課税の恩恵を受けられるのは、持株比率の真実の数値が右の数値以下であり、借名名義としても実質上の持株比率の数値がこれを超えるときは恩恵を受けることができない点も十分に承知していたことが認められるのであるから、法律の解釈に錯誤は存しない。論旨は、理由がない。
四 量刑不当の主張について
論旨は、要するに、被告人を懲役二年及び罰金一億二〇〇〇万円に処した原判決の量刑は重すぎて不当である、というのである。
検討するに、本件は、有価証券売買を他人名義で行うなどの方法により、自己の所得を秘匿した上、昭和六三年分の実際総所得金額が九億七七〇一万九六一〇円であったのに、同年分の総所得金額が一一八万五二七二円で、所得税額は源泉所得税額を控除すると四七五万円の還付を受けることとなる旨の虚偽の確定申告書を提出し、正規の所得税額五億七一一四万七〇〇〇円と右還付税額との合計五億七五八九万七七〇〇円を免れたという事案である。ほ脱額は相当高額であり、ほ脱率も一〇〇パーセントである上、還付まで受けている。犯行動機は、自己の経営する会社の事業資金や返済資金、さらには自身の借入金返済資金を得るためというものであって、酌量の余地に乏しく、その態様も、他人名義を使い、しかも名義を分散させて譲渡益が課税対象とならないよう画策するなど、計画的かつ巧妙、悪質である。被告人は、本件覚書後、関係者に対して口裏を合わせるよう依頼するなどの罪証隠滅工作を行っており、原審公判の途中で否認に転じて以降、不自然、不合理な供述に終始していて、反省の態度がみられず、本件につき修正申告はしたが、大部分が未納付となっていることに照らしても、被告人の刑事責任は重い。
そうすると、ほ脱所得を個人的用途には殆ど費消していないこと、被告人の経営するトスが倒産状態に至ったこと、その他所論指摘の事情を十分考慮しても、被告人を懲役二年及び罰金一億二〇〇〇万円に処した原判決の量刑が重すぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。
よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 香城敏麿 裁判官 佐藤公美 裁判官 坂井満)
平成七年(う)第八二七号
控訴趣意書
被告人 松本孝司
右の者にかかる所得税法違反被告事件について、弁護人は、左のとおり控訴趣意を述べる。
平成七年一〇月一一日
右弁護人 山崎龍一
右同 塚越豊
東京高等裁判所第一刑事部 御中
目次
(はじめに)・・・・・・一八二三頁
第一、原判決の内容及びその簡単な批判・・・・・・一八二五頁
第二、さくらやに譲渡した新宿西口メガネの株式は、被告人に帰属するものではなく、トスに帰属するものであることについて・・・・・・一八二六頁
一、原判決の本件株式の帰属の認定に対する総括的な批判・・・・・・一八二六頁
1、原判決の本件株式の帰属に対する基本的な認定に対する疑問点について・・・・・・一八二六頁
2、新宿西口メガネの株式をトスに保有させることの計画、並びに原判決の認定に対する批判について・・・・・・一八二八頁
(一) 株式会社泰共の設立について・・・・・・一八二九頁
(二) 株式会社トスの設立について・・・・・・一八三〇頁
(三) 泰共からトスへの株式二万株の譲渡について・・・・・・一八三一頁
3、新宿西口メガネの増資の目的について・・・・・・一八三三頁
4、原判決の総括的批判の結論について・・・・・・一八三五頁
二、原判決の本件株式の帰属の個々の認定に対する批判・・・・・・一八三五頁
1、問題の所在について・・・・・・一八三五頁
2、原判決の増資株式の認定の基本について・・・・・・一八三六頁
3、原判決の個々の認定に対する批判・・・・・・一八三九頁
(一) 本件株式払込金は被告人の計算において支出されたと推測することができるとの認定の誤り・・・・・・一八三九頁
(二) 株式払込金三〇〇〇万円は被告人への仮払金として計上された上で、貸付金に振り替えられているとの認定について・・・・・・一八四〇頁
(三) トスの三〇〇〇万円の株式払込金がトスの帳簿上資産として計上されていないことについて・・・・・・一八四二頁
(四) トスの出資による増資新株と長嶋外三名の株式所有に関する原判決の認定について・・・・・・一八四七頁
(五) 本件株式を表象する株券の保管について・・・・・・一八五〇頁
(六) 長嶋訴外三名の従業員からの株式買戻資金について・・・・・・一八五一頁
(七) 差押回避のための名義変更について・・・・・・一八五五頁
(八) 被告人個人名義の銀行預金口座について・・・・・・一八五六頁
(九) 本件株式代金の使途について・・・・・・一八五九頁
(一〇) 被告人名義のユーロ借入金(インパクトローン)の返済について・・・・・・一八六二頁
(一一) 倒産寸前の会社に個人資産を注ぎ込むことはないとの点について・・・・・・一八六六頁
(一二) 民事事件の和解金の処理について・・・・・・一八六七頁
三、本件株式の帰属に関する結論・・・・・・一八六九頁
第三、被告人には本件事案につき「脱税の故意」が欠けていることについて・・・・・・一八七二頁
一、問題の所在・・・・・・一八七二頁
二、本件株式の帰属主体の誤認について・・・・・・一八七二頁
三、原判決の認定する本件株式譲渡、及び被告人の本件株式の帰属の認識について・・・・・・一八七五頁
四、ヨドバシカメラとの営業譲渡仮契約から、さくらやへの本件株式譲渡までの経過について・・・・・・一八七六頁
1、原判決の認定について・・・・・・一八七六頁
2、ヨドバシカメラとの新宿西口メガネの営業譲渡仮契約について・・・・・・一八七七頁
3、ヨドバシカメラとの第二回目の交渉について・・・・・・一八七八頁
4、被告人とさくらやとの当初の交渉について・・・・・・一八八一頁
5、結論部分・・・・・・一八八三頁
五、さくらやとの本件株式譲渡契約について・・・・・・一八八三頁
1、新宿西口メガネの営業譲渡から株式譲渡への変更・・・・・・一八八三頁
2、本件株式譲渡に関する株主名簿・取締役会議事録の作成について・・・・・・一八九四頁
六、さくらやへの株式譲渡に関する事項のまとめ・・・・・・一八九八頁
七、被告人の自白の信用性について・・・・・・一八九九頁
八、錯誤の態様について・・・・・・一九一〇頁
九、被告人が「脱税の故意・犯意」を欠いていることの結論・・・・・・一九一二頁
第四、予備的主張である「法律の錯誤」について・・・・・・一九一三頁
一、「法律の錯誤」について・・・・・・一九一三頁
二、年度帰属の意識について・・・・・・一九一四頁
第五、量刑について・・・・・・一九一八頁
一、弁護人の主張と量刑との関係について・・・・・・一九一八頁
二、情状についての原判決の指摘と、その批判・・・・・・一九一九頁
第六、結論・・・・・・一九二三頁
(はじめに)
弁護人は、本控訴趣意書において、次の四点を中心に、控訴の趣意を述べ、同時に各箇所において原審判決の認定批判、判断に対する批判を行いたい。
趣意の概要は、すなわち、
第一点は、
被告人が株式会社さくらや(以下単に「さくらや」と言う)に譲渡した株式会社新宿西口メガネ(以下単に「新宿西口メガネ」という)の株式の六万九六〇〇株は、株式会社トス(以下単に「トス」と言う)に帰属するものであり、したがって、被告人には所得税の課税処分がなされないはずのところ、原判決はこれを被告人に帰属するものとして認定しているが、それは、証拠の取捨選択を誤り、証拠の評価を誤ったことによる重大な事実誤認があること
更にまた、原判決には、誤った事実認定が多く、全体的に証拠の証拠力を誤って評価する等の事実誤認が存在し、これらがあいまって本件株式が、被告人に帰属するとの誤った事実認定に至ったこと
第二点は、
原審においては被告人・弁護人の主張として明確性を欠いていた主張であるが、被告人がさくらやに譲渡した(被告人は、トスが譲渡したと認識しているが)株式について、これがトスに帰属するものと信じていたことから、被告人には、所得税法に言う不正の行為により、所得税を免れる意思が一切存在しなかったこと、すなわち、被告人に、本件株式の帰属主体に関する事実につき、錯誤が存在したことから、脱税の意思(故意)が阻却されること、更に被告人には他の事情が作用して、結果脱税の犯意を欠くに至ったこと
第三点は、
右一・二点の主張がいずれも認められなかった場合の予備的主張であるが、被告人には、三菱銀行担当者により、概要「株式の持ち分が全体の一五%以下の時には、非課税になり、節税になる」等の説明を受けたことにより、被告人個人に対し所得税の課税決定がよもや下されることはないと思いこんだ(というより、被告人に課税処分がなされるという発想すらしなかったすこぶる希薄な認識というべきか)などの法律の錯誤があり、そう思い込むことについては、被告人に重大な過失がなく、結果、刑法第三八条第三項但書より刑が軽減されるべきこと
第四点は、
右第一・二の主張が認められず、結果、所得税法違反の事実が認められるとしても、被告人に下された刑は、諸般の事情から、著しく重いもので、破棄されるべきであること
である。
以下、この四点を主張するため、原判決の事実誤認に対する批判から始まり、被告人のさくらやへの株式譲渡行為に関する被告人の事実に関する認識、及び法律に関する認識について述べ、最後に、量刑の不当性について述べる。
第一、原判決の内容及びその簡単な批判
一、右四点にかかる指摘をなす前に、原判決の罪となるべき事実記載内容にかかる簡単な批判を施したい。
原判決は、罪となるべき事実の中で、被告人は、自己の所得税を免れようと『企て』、有価証券売買を『他人名義で行うなどの方法により』所得を秘匿したとして、不正の行為により、所得税及び還付税額との合計を免れたという認定をしている。
原判決の認定事実の中で重要な要素は、『企て』てなした行為という側面と、『他人名義で行う方法によるもの』という行為形態の二点である。
しかしながら、被告人の本件に関する行為は、自己の所得税を免れようと企ててなした確定的な故意は一切存在しない。
後に述べるように、本件の事実関係に下においては、被告人は、所得税を脱税するという意思を欠いていたことが明らかである。
また、有価証券を他人名義に分散させるという方法は、やはり後に述べるように、本件の事実関係の下においては、被告人がこれを認識して、且つ、求めてなしたものではなく、単に、三菱銀行情報開発部のM&Aの担当者による勧めに従い、盲目的・柔順に行ったもので、脱税のためという認識は全くなく、むしろ節税行為であり、合法的であるとの認識を有しながら本件各行為を行っていたのである。右の限りで、被告人は所得税を逃れようと『企て』たことはなく、結果的に、『他人名義で行う方法による』との考えの下に所得を秘匿したことは一切ないのである。
二、原判決については、右に簡単に述べたような、問題点が指摘できる。また、その認定は事実誤認をした箇所が多く、到底破棄を免れないものであると弁護人は思量する。
以下第二において、原判決の事実誤認に関する指摘をし、これに引き続き、前記第二点、第三点、第四点にかかる指摘をしたい。
第二、さくらやに譲渡した新宿西口メガネの株式(以下「本件株式」という)は、被告人に帰属するものではなく、トスに帰属するものであることについて
一、原判決の本件株式の帰属の認定に対する総括的な批判
1、原判決の、本件株式の帰属に対する基本的な認定に対する疑問点について
(一) 原判決は、『被告人が、新宿西口メガネの株式二万株を、同社の河村洋治前社長から譲り受け、新宿西口メガネの三〇〇〇万円の増資に関しても、被告人がトスから増資資金三〇〇〇万円を借り受けて行ったものであり、本件株式は、被告人に帰属するものである』旨認定をしている。その反面、原判決は、昭和六一年七月二二日の新宿西口メガネの増資に関する株式払込金が、トスの小切手でなされていることも明確に認めている(原判決一一丁表)。
そうすると、原判決の認定するように、被告人がトスから三〇〇〇万円を借りて、増資の六万株の株式を取得する意図があったとしたならば、何故に、被告人名義の定期預金四〇〇〇万円を解約して、トスの預金口座に一旦入金して、トス名義の小切手で、わざわざ株式払込をしたのか大きな疑問となってくるのである。当審の弁護人は、この疑問の解明こそが、本件株式が、トスに帰属することを証明するものであり、本件における事実認定の中で、最重要な事項であると考える。
(二) 勿論、原審弁護人も、この点の主張を展開しているのであるが、原判決は、原審弁護人の主張を『弁護人は、もし被告人が自己の計算において六万株を取得したのであれば、被告人名義の四〇〇〇万円の自動継続定期預金を解約してトスの預金口座に入金する必要はなく、それを直接株式払込金として支払えば良いはずである』との主張としてとらえ、『弁護人は、他方において被告人名義の右定期預金口座は実質的にはトスの預金口座であると主張しているのであり、それが被告人の預金口座であることを前提にした主張は、それ自体論旨が一貫していない』と簡単に一蹴している(原判決一四丁~一五丁)。
しかし、原判決は、原審における弁護人の主張自体を曲解してとらえているものであり、論旨の一貫性を否定したのは不当であり誤りである。原審弁護人の主張は、「もし被告人名義の自動継続定期預金が被告人に対する貸付金であれば、増資するに当たって、払込み三〇〇〇万円は、右四〇〇〇万円の定期預金を解約した上、その中から、被告人名義で三〇〇〇万円を増資資金として銀行に払い込めば足りる」旨の主張をしているのである(弁論要旨一九~二〇ページ、同七四ページ)。これは、仮に、右四〇〇〇万円が、トスの被告人に対する本当の意味での貸付金で、被告人個人が自由に使用できる金員であるならばという前提での主張であり、原判決は、その前提部分を曲解または誤解した上で判断したものであり、論旨の一貫性がないという判断には、到底ならないのである。
また、原判決は、『(弁護人の論旨の一貫性がない主張はさて置くとしても)、被告人が自認するように、当時トスの資金繰りは良くなかったことからすると、トスに対して資金調達をしなければならない事情が認められるから、被告人とトスとの間の出入金の事実は、トスに何らかの資金需要があったためと考えることができる』(原判決一五丁)と判断している。しかし、この判断は、弁護人が主張する疑問に対する答えには全くなっていない。原判決の指摘する「トスに何らかの資金需要があったこと」自体こそが重要なのであり、その資金需要こそ、三〇〇〇万円の増資の株式払込金にほかならないのである。このことは、弁一二号証のあさひ銀行(当時協和銀行)赤坂支店の当座預金取引明細表を見れば明らかである。昭和六一年(一九八六年)七月二一日の利息分を含む四〇〇一万三八〇五円の入金は、明らかに「三七五九〇」の小切手番号で表示される増資資金三〇〇〇万円を捻出するためのものである。原判決の指摘するように、当時のトスは資金繰りに苦しいところがあり、当初定めた昭和六一年七月一五日の払込期日を延期した経緯があった(弁四四号証被告人陳述書四四~四五ページ、弁一二号証株式申込事務委託書参照)。払込期日を延期したということは、これは反面、トスが自己の資金で三〇〇〇万円の増資の株式払込金を出すという意思が、明白であったという証拠でもある。
(三) 原判決が、原審弁護人が主張した疑問点について、適切な判示をしないのは、原審弁護人が主張した、被告人には、本件株式をトスに保有させるという計画、及び、その背景、動機があったことに全く理解を示すことができなかったからである。当審の弁護人は、本項において、再度、右の点を主張し、並びに、右の点に対する原判決の認定を批判し、さらに、項をあらためて、本件株式を被告人に帰属するものと認定する原判決の個々の論拠を批判していくものである。
2、新宿西口メガネの株式をトスに保有させることの計画、並びに原判決の認定に対する批判について
被告人が、トスに新宿西口メガネの株式を実質的に保有させることは、以下に述べるように増資以前からの計画があった。右被告人の計画は、紆余曲折したものがあるが、被告人が設立した株式会社泰共の設立ときから始まるものである。
(一) 株式会社泰共の設立について
(1) 被告人は、整理中の新宿西口メガネの再建の支援をするために、当初は、同社の子会社であった流通計画株式会社をもって行おうと考え、被告人の友人である村井勝喜、江連ひろ子、伊藤行宏の協力を得て、同社を運営していたが、同社は整理中の新宿西口メガネの子会社であったため、信用力がないなどの事情から、その経営は破綻してしまった(弁三八号証、弁四四号証被告人陳述書一二~一八ページ)。
(2) 被告人は、昭和五七年七月二二日に、新宿西口メガネの前社長河村洋治から、同社の全株式二万株を譲り受けることになった。新宿西口メガネの株式二万株の譲渡契約の内容は、被告人が河村前社長から、同社株式二万株及び同社の経営権、債権等を金一八〇〇万円で譲り受けることであった(乙二号証添付資料一)。しかし、被告人は、新宿西口メガネの全株式を取得したものの、同社は、田邨管理人(当時整理監督員)の監督の下に整理を行っている会社であり、株価もほとんど評価されない実情であった。そのような状況下、被告人は、株式については、田邨管理人及び水上会計事務所の高橋会計士から、「株式名義人を分散し、それも同族名義に決してしないよう」に強く指示されていた(弁三四号証の「同族会社の判定に関する明細書」参照)。右株式の名義分散、同族所有の禁止の理由は、新宿西口メガネの他の債権者から、被告人が同社を乗っ取ったとの批判を受けないためと、同族会社の判定を避けて税務を軽減することで、少しでも債権者に対する配当を増やすためであった(弁四四号証被告人陳述書二二~二四ページ、第七回公判調書六~八丁)。右のことから明らかのように、新宿西口メガネの株式については、被告人の意思に基づいて、名義人の分散をしていたのではないのであり、さらに、このことは、さくらやとの株式譲渡契約に対する被告人の認識に、重大な影響を及ぼすことになるのである。
(3) 被告人としては、新宿西口メガネを以前の流通計画のような会社で、経営・管理しようと考え、昭和五七年一二月一五日に、株式会社泰共(以下単に泰共という)を設立した(弁三九号証)。そして、被告人は河村洋治から譲り受けた全株式二万株を泰共に譲渡したのである(弁四四号証被告人陳述書二六ページ、被告人第七回公判調書九丁、一四~一五丁)しかし、昭和五八年三月二二日に新宿西口メガネは管理命令を受け、田邨弁護士が管理人に就任したために、被告人が計画していた泰共による同社の経営・管理が事実上できなくなってしまったのである。
(4) そのような状況下で、泰共は業務を開始したが、間もなく、取引先の倒産のあおりを受け、新宿西口メガネの店舗改装工事費用の支払いのため振り出した約束手形を不渡りとせざるを得なくなり、ここに、泰共に代わる会社を設立する必要性が生じたのである。
(二) 株式会社トスの設立について
(1) 被告人は、友人の中村公明から、船舶の販売を共同でやろうとの申し入れを受け、さらに、飛島建設株式会社の須磨重充からも、マリーナ開発、土木建築等の共同事業の話があったので、同人らと共同で昭和五九年二月一八日トスを設立した(弁五号証)。被告人の考えとしては、流通計画、泰共の失敗は、整理中の新宿西口メガネと一体となった会社造りをしたことが原因であるとし、それを回避するにためには、新宿西口メガネとは違う業種で営業活動して、経営基盤を造る会社が必要と考えたのである。トスの設立に当たって、被告人は、右中村らに対し、新宿西口メガネと泰共の関係、泰共が新宿西口メガネの店舗改装工事費等を負担した事情などを説明したうえ、泰共の負債をトスが引き受ける代わりに、新宿西口メガネの株式をトスに譲渡することで合意した(弁四四号証被告人陳述書三〇ページ、第七回公判調書一六~一七丁)。
なお、原審弁護人は、トスの設立時点において、トスに譲渡された新宿西口メガネの株式二万株のうち、長嶋らに譲渡した分は別と主張しているが(弁論要旨二九ページ)、昭和五九年二月のトスの設立時点では、まだ、増資の話は出ておらず、増資の条件としての二万株の三〇パーセントの無償譲渡は、昭和六一年五月頃のことであり、右主張は事実を誤解したものと思われる。トスの設立の際に、泰共から譲渡された新宿西口メガネの株式は、二万株なのである(第七回公判調書一八丁)。
(2) 右のように、被告人は、新宿西口メガネの株式が泰共からトスへ譲渡されたことから、管理人に対しても、その旨報告したが、田邨管理人から整理中は株式名義人を分散しておくようにとの方針を強く打ち出され、またしても名義書換手続はできないことになった(第七回二〇丁、第八回二〇~二一丁)。このことを契機として、昭和六一年四月頃より、新宿西口メガネの増資、すなわちトスへの第三者割当増資について、被告人と田邨管理人とが衝突する原因となったのである。
(三) 泰共からトスへの株式二万株の譲渡について
原判決は、被告人から泰共への株式二万株の譲渡、並びに、泰共からトスへの株式二万株の譲渡については、いずれも、被告人の公判供述以外にはこれを裏づける証拠がないとして、これを排斥してる。
(1) しかし、当時、新宿西口メガネの株券は発行されていなかったことから、株券自体の譲渡は不可能であった。また、管理人の指示で株式名義人を分散するよう強く要求されていたことから、被告人から泰共へ株式を譲渡したい、さらに、泰共からトスへ株式を譲渡したいという考え、及びその実行が、管理人に拒否され、形式上名義変更手続ができなかったのは当然のことであった。したがって、明白な譲渡に関する証拠がないというのは、この辺の事情を示すものである。
(2) 前述のように、譲渡の事実を端的に示す証拠はないが、これを間接的に証すると考えられる、トスが泰共の負債を引き受けた証拠は存在する。当審で提出する予定の「動産売買契約書」は、文面上、売主トスと買主新宿西口メガネとの間で取り交された契約であるが、その内容は、新宿西口メガネのの店舗の内装設備及び什器並びに外装及び看板等が売買の対象で、その支払は、六〇回の分割払いで昭和五八年五月から昭和六三年四月までとなっており、契約の日付は、昭和五八年四月と記載されている。トスは昭和五九年二月に設立された会社であるから、昭和五八年四月に新宿西口メガネと右動産売買契約を締結できるわけはないのであって、この契約の実態は、泰共と新宿西口メガネとの契約そのものなのである。かように、トスは泰共の負債を引き受けたからこそ、右動産売買契約を新宿西口メガネとの間で、日付をさかのぼらせて作成したのである。右契約書の作成当時、新宿西口メガネの代表印は田邨管理人の保管下に置かれていたものであり、同管理人においても、当然のごとく泰共の負債をトスが引き受けたことを認めていたのである。
(3) トスは、前述した設立経過からして、被告人と、中村、須磨との共同の会社であって、被告人個人の会社ではない(設立時の代表取締役は、トスの事業-船舶の販売の発案者である中村公明で、被告人は取締役)。したがって、トスが無償で泰共の負債を引き受ける必要性、必然性は、共同事業者である中村、須磨には一切ないのである。さすれば、トスが泰共の負債を引き受けるについての対価を求めるのは当然であり、同社の唯一の資産は、整理の期間中は名義書換できない新宿西口メガネの株式だけだったのである(第八回公判調書一九~二〇丁)。
以上の点からすれば、右動産売買契約書は、泰共がトスに対し、新宿西口メガネの株式を譲渡したことを十分に推認できる証拠なのである。
(4) 原判決が、右に述べた、泰共及びトスの設立経緯と本件株式の譲渡の経過を認めないのは、直接的な証拠がないからというものであり、このことから、昭和六一年七月二二日の新宿西口メガネの三〇〇〇万円の増資手続が、何を目的としたかも、全く理解を示せなくなったのである。
3、新宿西口メガネの増資の目的について
(一) 昭和六三年七月二二日に、新宿西口メガネの増資をした目的は、第一に、新宿西口メガネの整理完了を早めるために、整理債権の返済を、トスが同社に貸し付けることではなく、トスが資金を出して増資を二回行い、整理を完了させるというものであり、第二に、新宿西口メガネが、トスの傘下にある会社であることを内外に示すことであった(弁四四号証被告人陳述書三八ページ)。
(二) 右計画の背景は、トスの企業としての急成長があった。トスは、業務の主力を昭和五九年八月より電子機器の開発、設計及び製造販売に移行しはじめ、被告人は、よく六〇年六月五日に同社の代表取締役に就任した。そして、トスは総合商社である高島株式会社(以下高島という)、TBSの制作会社である株式会社東通の子会社の新東通エンジニアリング株式会社(以下新東通エンジニアリングという)、ソフト開発会社の株式会社システムクラフト(以下システムクラフトという)と業務提携し、昭和六一年一月八日の二〇〇〇万円の増資の際には、右高島、新東通エンジニアリング、システムクラフトにそれぞれ五〇〇万円を出資してもらい、資本提携をした(弁四四号証被告人陳述書三三~三四ページ、弁三二号証同族会社の判定に関する明細書参照)。右の事情は、高島他二社は、トスの事業内容及びその企業力について、これを認知したことを示すものであり、その意味では、トスは被告人個人の会社にすぎないという評価を下し得るものではない。
右のように、業績を拡大していくトスとしては、新宿西口メガネの株主としての地位を明らかにして、関連企業をグループ化して更なる拡大を求めることは、企業の経営方針として当然である。被告人は、ここにおいて、トスが実質的にも名義的にも、新宿西口メガネの株主となるため、前記のような具体的な計画を練り始めたのである(弁四四号被告人陳述書三八ページ)。その計画内容については、被告人は、トスの資金による二回にわたる増資を行い、新宿西口メガネの整理を終結させて普通の会社にして、トスの系列化の会社にすることであり、トスの経営コンサルタントであった城義紀と相談し、新宿西口メガネの整理を完了する方法として、トスがスポンサー的に株式の第三者割当を受けて、資金を出す旨決めたのである。(第一〇回公判城義紀証言六~七丁)。
(三) しかし、トスによる二回にわたる新宿西口メガネの増資計画は、田邨管理人から、トスに対する第三者割当増資はできないと拒否され、増資をするのであれば、従来の分散された株式名義人のみに対して行うこと、並びに、長嶋正男ら従業員に三〇パーセントの株式を保有させることと命じられた(弁四四号証被告人陳述書五二~五三ページ、第八回公判調書二一~二三丁、乙二号証添付資料2の「念書」)。被告人は、田邨管理人の決定に対し、非常に不満であったが、経営者である田邨管理人に、直接的に抵抗できないため、増資資金については、分散された株式名義人の如何をとわず、トス名義で振り込むことで、新宿西口メガネの増資される株式は、実質的にトスが保有するもので、かつ、新宿西口メガネがトスの支配下にある会社であることを、同社のメインの取引銀行である協和銀行赤坂支店に示すことにしたのである、(弁四四号証被告人陳述書四三ページ)。
これが、被告人が、トス名義で増資資金を出した理由であり、これ以外に、原審及び当審の弁護人が主張した疑問に対する回答は、考えられないのである。
(四) 概ね、企業を起こす者は、自己の生活の安定だけではなく、企業を大きく育て、将来は株式の店頭公開をさせ、そして最終的には会社株式の上場を目指す夢を持っているものであり、被告人とてその例外ではない。企業を大きく育てる、そのためいくつもの傘下の企業を持つというのは、企業家にとって右のような夢を実現する典型的な手段である。被告人には、右のように、トスという会社を大きく育てたいという希望、夢があり、高島外二社と、業務提携・資本提携して、それを実行してきたのである。そのような考えを持っていた被告人が、新宿西口メガネの株式について、田邨管理人の指示に反してまでも、トスに、実質的に保有させたいと希望すること自体、不自然、不合理なことでは決してないのである。
4、原判決の総括的批判の結論について
原判決は、以上述べたように、被告人において、トスに本件株式を保有させる目的があったことを、全く無視していることから、次項以下に述べるように、個々の帰属に関する認定自体が、形式的な事項による判断に陥り、また、企業会計原則にそわないトスの経理に、単純に、その原則を適用して判断してしまうという誤りを犯してしまったのである。
被告人の右目的を、真に理解することができれば、原判決の認定とは、全く異なる認定となるはずである。
二、原判決の本件株式の帰属の個々の認定に対する批判
1、問題の所在について
本件株式の帰属について、弁護人は、被告人が新宿西口メガネの河村前社長から譲り受けた二万株は、泰共へ譲渡され、さらにトスへ譲渡された旨の主張を展開し、原判決を批判しているものである。そして、新宿西口メガネの三〇〇〇万円の増資による株式が誰に帰属するかは、被告人が無罪であるか、有罪であるかの判断の基準となるもので、極めて重要な事項である。
原審弁護人は、新宿西口メガネにかかる昭和六一年七月二二日の三〇〇〇万円増資の際の株式払込金がトスから出金されているから、長嶋外三名の従業員に帰属した一部の株式を除くその余の株式が、トスに帰属すべき株式であり、被告人に帰属する株式ではない旨主張し、関係証拠を提出しているが、原判決は、原審弁護人の主張する出入金の事実が確かに認められるとしながらも、種々の論拠を上げて、弁護人の主張を排斥し、右三〇〇〇万円は被告人がトスから借りて出資したものであり、株式は被告人に帰属するものと認定している。
しかしながら、原判決は、前述したトス名義で増資の株式払込金を支出した理由、目的を全く無視しており、右認定は、事実誤認があると言わざるを得ない。
2、原判決の増資株式の認定の基本について
(一) 原判決の前記認定の基本的態度は、トスの「公表経理」すなわち、トスの会計帳簿、振替伝票、決算書、税務申告書の記載に、全面的信用力を認め、これのみに重点を置いていることである。しかし、原判決の指摘する公表経理は重要な事柄であるが、トスの経理は、一般の会社と比較して極めて特異なものであり、その外形だけをとらえて重要視することは、大いなる誤りを来すことになるのである。
(二) トスの経理処理の第一の特異性は、トスの中に「松本扱い」という勘定科目があることである。「松本扱い」というのは、例えば、被告人がトスの資金繰りでA社、B社、C社からそれぞれ借りたり、支払を受けたりして資金を用意するような場合、これを一括して「松本扱い」ということで計上(松本短期借入金など)することで、その処理を一回で済ませ、決算で修正することにして、相当煩雑な振替伝票を起こさなくてもよいという経理事務の簡便化を目的とするものであった(第一一回公判・田端証言二一~二二丁)。決算の修正時には、大変な作業が予想されるが、被告人が調達してきたトスのための種々の資金が、どこからの借入金であるか、または、どこからの前受金であるか、もしくは、どこからの債権回収金や売上金であるかを、トスへの入金時に区別することなく、全部「松本扱い」の借入金勘定に入れることから、日常的な経理処理は簡便化されるのである。したがって、トスの経理における「松本扱い」の勘定は、被告人がトスのために調達、受領してきた資金を取り扱うもので、決算時の修正により、それが、売上又は営業外収益になったり、他社からの借入金になったりして、他の勘定科目に振り替えられるので、「松本扱い」の借入金は、決算時に適宜修正され、トスが被告人個人に対し、返済する必要はないものとなるのである。
また、そのために、被告人が、トスのために調達、受領してくる、あるいは、資金を相手先から振り込ませるための、受皿、すなわち、資金を一時的にプールする被告人個人名義の普通預金口座が必要となり、トスの経理は、右普通預金の通帳、銀行印を管理することになったのである(第一一回公判・田端証言二丁)。
(三) トスの経理処理の第二の特異性は、トスの会社資金による被告人個人名義の預金を作り、これを被告人個人名義のまま、会社の資金として使用していることである。これは、当時の銀行間の個人預金口座獲得競争があり、トスはこれに協力するために、被告人個人名義の預金をしていた事情から生じたものであった。このため、トスの経理は、被告人個人名義の銀行預金通帳、定期預金証書や銀行印がトスのものであるため、これらを同社の金庫に保管していたのである(第一〇回公判・城証言五丁、第一一回公判・田端証言三丁)。
(四) 右のような特異の経理処理をしていく場合、トスへの入金である「松本扱い」の借入金、弁済金、または、トスからの出金である「松本扱い」の貸付金(例えば被告人個人名義の協力預金をするための出金)、支払金は、一般の会社経理とは全く異なる取り扱いになり、借入金に関しての「松本扱い」勘定は、被告人とトスの間の純粋の貸借関係ではなく、トスと相手先の間にフィルターのように入り(前掲城証言では「経理ブロック」と呼んでいる)トスの資金循環を補完する勘定科目となっていたのである。
(五) 本件のさくらやからの株式譲渡代金が、トスの管理・保管する被告人名義の銀行預金から引き出され「松本扱い」の借入金で処理される場合には、右で述べたように、「松本扱い」勘定が、トスと被告人個人との純粋の貸借関係ではないことから、株式代金は、トスの資金とみなさるシステムになっているのである。後述するように、さくらやからの株式代金は、すべて、トスの特異な経理処理である「松本扱い」として処理され、決算時にこれが修正され、「松本扱い」の短期借入金としてとりあえず処理されていた勘定は消滅して、トスに入金処理されたのである(第一一公判・田端証言九丁)。その意味からすれば、本件株式六万九六〇〇株は、実質的にトスが所有するものであるとの被告人の認識を、正に証明するものなのである。
(六) なお、右のような「松本扱い」の勘定科目が、企業会計原則に違反しているかどうかは、本件において、さしたる問題にはならない。なぜならば、企業会計原則からではなく、右のようなトスの経理の特異性を前提にした実態から判断しなくては、本件株式譲渡代金の「真実の受益者」は誰であるかを、正当に判断することができなくなるからである。
3、原判決の個々の認定に対する批判
(一) 本件株式払込金は、被告人の計算において支出されたと推測することができるとの認定の誤り
(1) 原判決は、『三〇〇〇万円の株式払込金の原資となったのは、被告人名義の定期預金である』とし、『振替伝票(甲第三七号証)及びトスの総勘定元帳によれば、右定期預金は、被告人からの(「への」または「に対する」の誤記ではないか)貸付金に計上されているから、右株式払込金は、被告人の計算において支出されたと推認できる』旨認定しているが、右定期預金四〇〇〇万円は、トスが、協和銀行赤坂支店(現あさひ銀行)から、個人預金獲得競争の協力を求められて、被告人個人名義の預金をしたものであり、その実質は、トスの被告人に対する貸付金ではなく、右四〇〇〇万円は被告人の計算において支出されたものではない。
(2) 原判決は、続いて、『右定期預金は、トスの昭和六二年一月期の法人税確定申告書控写にトスの資産として計上されていないから、トスの協力預金とも、トスの資産とも見ることができない旨』認定しているが、右定期預金は、昭和六一年五月三一日に預け入れられ、同年七月二一日に解約されたもので、トスの期中に解約されたものであるから、決算期に存在していないのであり、確定申告書に計上されていないのは当然である。
また、右定期預金に関する被告人に対する貸付金は、昭和六一年五月三一日になされ、即日定期預金が組まれたものであり、被告人とトス間の右貸付行為は、単に被告人が定期預金を組むことだけを目的とするものになっている。しかし、さしたる目的のない右貸付行為は、トスにとっては資金の固定化を招き、被告人個人にとっては自己使用の目的はなく、かつ、金利の発生が生じる不経済な取引となってしまい、純粋な貸借関係と見ることはできないのである。それを敢えて行うのは、トスが銀行の個人預金獲得の協力要請に応じたというしかないのである。
(3) したがって、原判決の右認定は、右の理由からして失当であり、右株式払込金は、名義的にもトスであり、実質的にも、トスの計算で行われたものである。
(二) 株式払込金三〇〇〇万円は被告人への仮払金として計上された上で、貸付金に振り替えられているとの認定について
(1) 原判決は、『関係各証拠によれば、昭和六一年七月二一日の三〇〇〇万円の株式払込金は、被告人への仮払金として計上された上、トスの当該事業年度の期末である昭和六二年一月三一日に、右仮払金は被告人に対する貸付金に振り替えられていることが認められるとして、株式払込金は、被告人がトスから借り受けて支出したもの』と認定している。右の点は、原審において、原審弁護人が詳細に論旨を展開しているところであり(弁論要旨五三~五八ページ)、当審の弁護人も同様に原判決の認定を強く争うものである。
(2) 原判決が右認定の基礎としているのは、昭和六一年七月二一日付の振替伝票(甲四一)であるが、右伝票には、金額三〇〇〇万円について、最初に、借方科目欄に「借地権」と記載され、摘要欄に「昭和リース」と記載されていたところ、次に、それらを全部線を引いて抹消し、借方科目欄の上部に「仮払金」と記載し、摘要欄に「丸山借地権付建物内金」と記載されたことがわかる。そして、その次に、借方科目の「仮払金」及び摘要欄の「丸山借地権付建物内金」の記載が、線を引いたり、また、線をばつ状に引いて、その全部を抹消したことがわかる。最後に、右記載文字とは明らかに異なる筆記具と筆跡で、借方科目欄に「貸付」と書き、摘要欄に「松本」と記載されていることが明らかになっている。
(3) 原審の弁護人は、明らかに筆記具と筆跡の異なる、右借方科目欄の「貸付」及び摘要欄の「松本」が、何者かによって後日改ざんしたと主張しているのであり、原判決が指摘する「矢印を引いて『61・7・21』『松本』という書き込み」、すなわち、矢印の先に記載されている「61・7・21」「松本」の箇所について、改ざんされたものと主張しているのではない。検察官が原審で提出した甲四一号証は、その記載部分が鮮明ではないので、原判決が「矢印の先」のことと誤認したのではないかと思われるが、原判決が、誤った箇所を指摘して論じているのは明らかであり、この点は審理不尽となるし、弁護人の主張を排斥できるものではない。
(4) すなわち、被告人の有罪・無罪かの判断をするについて、最も重要な証拠の一つと認められる右振替伝票の文字「貸付・松本」が、何者かによって改ざんされた疑いがあり、その経過が検察官の立証によって明らかにされていない以上、これを証拠として、トスが被告人に三〇〇〇万円を貸し付けたと認めることは許されるものではない。なお、この点についての事情として、原審弁護人が検察庁、国税局に出向き、右振替伝票を調査した経緯を詳細に述べている(弁論要旨五五~五六ページ)。当審の弁護人としても、原審弁護人が、株式払込金がトス名義で支出されている明らかな証拠を提出したことから、何らかの対策で、右伝票の改ざんが行われたものと疑うものである。いずれにしても、これをもって、トスが株式払込金三〇〇〇万円を被告人に貸し付けたと、認定できる証拠にはなり得ないことは明らかである。
(5) 原審弁護人は、弁一二号証の添付のトスの当座預金明細表の昭和六一年(一九六八年)七月二一日出金の二口の三〇〇〇万円のうち、小切手番号「三七五九〇」によって出金された三〇〇〇万円が、トスが株式払込金として支出されたものと主張しているのであり、甲四一号証の振替伝票とは全く関連性はないと主張しているのである。
また、右振替伝票が総勘定元帳に転記される当時に、その記載内容が「仮払金・丸山借地権付建物内金」であったことは、甲四二号証の「仮払金」勘定欄で「61・7・21」に「丸山」とコンピューターに入力されていることから明らかである。すなわち、総勘定元帳転記のためのコンピューター入力などの、経理処理を依頼された会計事務所は、期中の動きを示す振替伝票の内容を、そのまま転記・コンピューター入力するのは当然だからである。もし、総勘定元帳への転記の際に、勝手に書き換えるようなことをしてしまえば、一つの勘定の変更は、他のすべての勘定科目に連動し、全体的な会計処理は大混乱になってしまうからである。
(6) 結局、前記振替伝票、総勘定元帳から推認される事実は、せいぜい「仮払金・丸山」が、トスの昭和六二年一月期の決算期において、被告人への貸付金に振り替えられたという外形的事実があったというに過ぎず、これをもって、増資資金三〇〇〇万円をトスが被告人に貸し付けたものと認定することは、到底できないのであり、原判決には、証拠の評価を誤った重大な事実誤認がある。
(7) 増資資金三〇〇〇万円が、トスの資金であり、トスの計算において出資されたものである以上、他の認定の批判を待つまでもなく、本件株式はトスに帰属するものであり、したがって、被告人に、本件株式にかかる譲渡所得税が、課せられる理由は全くなく、直ちに、無罪が言い渡されるべきものである。
(三) トスの三〇〇〇万円の株式払込金がトスの帳簿上資産として計上されていないことについて
(1) 原判決は、『弁護人の主張するように、仮に昭和六一年七月二一日のもう一口の三〇〇〇万円が株式払込金に充てられたとしても、これはトスの帳簿上株式払込金等の資産として計上されるべきであるのに、そうした会計処理がされた形跡はない』として、右主張を排斥している。この点に関して、原審弁護人は、資産として計上できなかった理由について、当時新宿西口メガネが整理中であったため、トス名義で新宿西口メガネの株式を取得することが管理人から固く禁じられていたから、トスの経理書類に株式払込金と明記した会計処理ができなかった旨主張している(弁論要旨七七ページ)。
しかし、原判決は、『新宿西口メガネの株式についてトスへの名義書換ができるかどうかとトスが実質的に払い込んだ株式払込金をトスの帳簿上どのように処理するかは、別問題であって、他人の名義であっても実質的にトスが所有する株式であれば、右株式払込金ないしこれによって発行された株式をトスの資産として計上すべきであり、トスの資産として公表経理することは何ら妨げられないというべきである』として、これも排斥している。
(2) しかし、被告人には、トスの資産上として株式払込金ないし有価証券名目の計上ができなかった客観的な事情があったのである。乙二号証添付資料4の念書、弁第一号証の管理人作成の報告書及び弁三四号証の「同族会社判定基準明細書」によれば、新宿西口メガネの株式名義人が長嶋正男ら同社の幹部社員名義を除くをほか、真実の株式保有者が隠され、名義人が分散されていることについて、管理人においても十分に承知していた事実は明らかである。このことは、新宿西口メガネの管理人が、被告人がいくら希望しても、トスという会社名義で、同社の株式を保有させないという考えを貫き、実際上はともかく外形上トス名義での株式の取得をさせなかったとの、被告人の主張を証明するものである。
原判決の指摘するように、新宿西口メガネの株式についてトスへの名義書換ができるかどうかと、トスの帳簿上どのように処理するかは別問題であるというのは、当弁護人としても企業会計的には理解できるものである。しかし、これは、トスと新宿西口メガネが実体的、場所的にも、全く別個の法人として活動している場合に言い得ることであり、本件の場合は一般的な事情とは異なり、被告人には、右のような管理人の意思の下においては、次のとおり、トスの資産に計上できない客観的な事情があったのである。
<1> トスは、新宿西口メガネが賃借しているビルに間借りしていること。すなわち、トスと新宿西口メガネは、外見的には同一の会社のようになっていたこと
<2> 新宿西口メガネには、管理人として田邨弁護士が同社の経営者として存在していること
<3> トスは、新宿西口メガネの金庫を両社で共同使用していたこと
<4> トスの監査役は、新宿西口メガネの代表取締役でもある長嶋正男が就任しており、トスの決算書類を閲覧できる立場にあったこと(弁四号証)
<5> 長嶋正男は、新宿西口メガネの増資の決定の際、管理人の田邨弁護士と協議して、株式の三〇パーセントを同社の社員に保有させることを取り決めたこと(弁四四号証被告人陳述書三九ページ)。
<6> 長嶋正男は、新宿西口メガネの増資に関し、従来の株主名簿に記載されている名義人、及び同人ら幹部社員三名に、株式が割り当てられることを知っており、トスが、新宿西口メガネの株式名義人になれないことを知っていたこと(乙二号証添付資料2「念書」参照)
<7> 長嶋正男は、新宿西口メガネの株主名簿の管理をしていたこと(弁四四号証被告人陳述書七四ページ)。
<8> 長嶋正男は、かつて新宿西口メガネの前社長であった河村洋治の会社資金の使い込みを、直接田邨弁護士に通報していること(弁四四号証被告人陳述書一九ページ)。
(3) 右の<1>~<8>までの状況がある場合に、三〇〇〇万円の株式払込金を、トスが資産上株式払込金ないし有価証券として計上した場合、どのような事態が予想されるであろうか。トスと新宿西口メガネは同じビル内にあり、そこには管理人の田邨弁護士もいるし、金庫も共同使用しているし、トスの決算書類を閲覧できる立場の同社監査役長嶋正男は、新宿西口メガネの商品販売など経営実務の責任者であり、かつ、従業員による三〇パーセントの株式保有を取り決めるなど、管理人の田邨弁護士の重要な協力者である。長嶋正男が、新宿西口メガネの株式をトスが保有していること、その処理がなされていることを知れば、直ちに、田邨弁護士に報告することは間違いないと容易に予想され、そうなれば、田邨管理人から、直ちにこの処理を否定、復元せよとの指示がなされることが明らかである。
被告人は、第一回目の増資後に、すぐに第二回目のトスにによる四倍増資を計画していたのであり、今度こそ、その承諾を田邨管理人から得る必要があると考えていたから、第一回目の増資について、実質的に、田邨管理人の指示に反した行為をしていることを、あからさまにできない事情があったのである(弁四四号証被告人陳述書五四ページ、第八回公判調書二二~二三丁)。
(4) 被告人が、原審において、三〇〇〇万円の株式払込金を、トスの資産上として、株式払込金ないし有価証券名目の計上ができなかった理由として、管理人からトス名義での取得を固く禁じられていた旨供述し、実際に、トスの決算上も、管理人の命にしたがって計上しなかったのは、右のような状況、事情があったからである。
したがって、原判決が、三〇〇〇万円の株式払込金がトスの資産ならば、トスの資産として決算上計上すべきであるという理屈は、あくまで企業会計上の理論から生じるだけのものであり、本件の場合にその理屈を当然のように当てはめることはできないのである。
(5) また、原判決は、『トスのその後の経理処理をみても、増資分の株式がトスに帰属したと認めることができない』旨認定し、被告人の公判廷における供述の変遷や、会計処理として明らかな不合理性を指摘してトスの資産ではないことを縷々述べている。当審弁護人としても、原判決の指摘するように、三〇〇〇万円の株式払込金について、会計原則から見た場合に、トスが、不合理な会計処理をしていたことは否定するものではないが、それは、前記したように、三〇〇〇万円の株式払込金を、トスの決算上、株式払込金ないし有価証券名目として計上できない理由があったからである(昭和六三年一月三一日までの決算書類には、トスの資産として「有価証券」の計上はないが(弁三二、三三号証参照)、管理人の手を離れた後の平成元年一月三一日の決算のときは「有価証券」を資産計上している)。
(6) トスは、元々、特異な会計処理をしていた会社であったことは、既に述べたとことである。被告人がトスのために調達してくる資金ついては「松本扱い」という項目を作って、伝票整理を簡略化し、決算時に一括整理するなどの方法を取っており、正規な会計原則からはずれた方法論を採用していたのである(前掲第一〇回城証言、第一一回田端証言調書)。
その意味では、原判決のように、トスの会計処理の特異性を無視して、正規な企業会計原則をそのまま適用して、新宿西口メガネの株式の帰属を決定することは、実態を見誤るものと言わざるを得ない。その株式の帰属決定については、トスが、新宿西口メガネの増資に関する株式払込金を支出した理由、並びに、株式売買代金がどのように使用され、右代金の実質的な受益者は誰か、という観点から判断なされるべきである。原判決は、企業会計原則を余りにも重視したもので、本件事案の事実的側面を見誤っているものと言わざるを得ない。
(四) トスの出資による増資新株と長嶋外三名の株式所有に関する原判決の認定について
(1) 原判決は『原審の弁護人は、トスが増資の株式払込金三〇〇〇万円を払い込んだことにより、増資新株六万株の株主となり、その後、その三〇パーセントに当たる株式が、長嶋外三名の従業員に譲渡されたような主張をしていて、事実とは異なるから、弁護人の主張は、前提において失当である』旨認定しているが、原審弁護人は、そのような主張をしているとは思われない(原審弁論要旨二六ページ)。ただし、右箇所の弁論要旨の部分は、被告人が、河村前社長から、新宿西口メガネの二万株を譲り受けた直後のときに、管理人の指示により、名義を分散するために、長嶋外三名に三〇パーセントの株式を無償譲渡したような記載となっているが、長嶋外三名の従業員の株式三〇パーセントの保有は、新宿西口メガネの昭和六一年七月の増資の時期のことであり、原審弁護人は時期的な誤解をしているものと思われる(弁四四号証被告人陳述書三九ページ)。
(2) 新宿西口メガネの三〇〇〇万円の増資は、被告人の計画、目的に反して、管理人の強い意思で、従来の株式名義人に割り当てることになり、トスの第三者割当増資ではできなくなり、かつ、旧株の三〇パーセントの株式を増資に先立って無償譲渡させ、旧株及び増資新株を含めて、その三〇パーセントを、長嶋外三名の従業員に保有させる条件にて、田邨管理人に承認されたことは、前述したとおりであり、その意味で、原判決の(争点に対する判断)二、1、(三)の認定は、長嶋正男分の四八〇〇株の箇所が、三六〇〇株であることを除いて、正しいものがある。
(3) しかし、そのことから、長嶋正男の供述調書によっても、増資新株がトスに帰属するか、トスから譲り受けたと認識する事情はないとして『株式払込金がトスから払い込まれているからといって、これにより発行された株式が、トスに帰属することにはならないのである』と、決めつけることにはならないし、右認定は、論理の飛躍があると言わざるを得ない。
被告人は、田邨管理人の三〇パーセントの株式を、長嶋外三名に保有させることに、反対であったが、第一回目の増資ができなくては、第二回目の四倍増資を含む被告人の計画、目的は完全についえてしまうので、長嶋正男に対し、長嶋らに割り当てられる増資分の資金は、被告人側(トス)で出し、旧株及び増資新株の三〇パーセントの株式を無償で譲渡するから、その半分を買い戻す旨の提案をしたのである(弁四四号証被告人陳述書四〇ページ)。長嶋外三名が、被告人の提案を承諾したので、被告人は、昭和六一年五月一五日付念書(乙二号証添付資料2)を、田邨管理人に提出し、増資に先立ち、旧株の三〇パーセントが、長嶋外三名に譲渡されたことを示し、同管理人の意思に沿って、増資手続が行なわれることを示したのである(弁四四号証被告人陳述書四二ページ、第八回公判調書二一丁)。
したがって、旧株及び増資新株の三〇パーセントが、長嶋外三名に、割り当てられることは、右念書の提出時期である昭和六一年五月一五日には、既定の事項であったので、それに相当する増資資金をトスが出資するとしても、長嶋外三名が、トスから譲り受けるという意識がないのは、当然なのである。
なお、弁四四号証被告人陳述書の株式の買戻の項目では「トスが出資をする」とか「トスが買戻をする」として、長嶋正男らに明言している形式になっているが、これは、被告人が「トスが主体となって出資をする、買戻をする」という実体的な関係から、右のような陳述書になったもので、実際には、長嶋外三名に話した内容は「こちらで出資をする、買い戻す」という表現であった。なぜならば、長嶋正男らに対し「トスが出資する」「トスが買戻をする」と鮮明にすることは、前記(三)で述べたように、すぐさま、田邨管理人に対し、同管理人の指示に反して、被告人は、名義的にも、トスを株主にしようとしていると通報される危険があったからである。
(5) 原判決は、右の点に関連して『長嶋外三名分の新株払込金については、被告人が立て替えて支払い、同人らの給与や賞与が、増額された上、その給与や賞与の中から右立替金の返済が行われた』旨認定している。しかし、被告人が立替えた事実は全くなく、事実はトスが立て替えたのであり(弁一二号証)、かつ、長嶋外三名が、同人らの給料や賞与で、右立替金を返済した事実は全くないのである。長嶋外三名が、立替金の返済を被告人に対して行ったという前提に立つ場合に、被告人に支払をしたというのであれば、何故に、領収証を提示しないのか、また、半分の株式を、被告人が(トスを代表して)買い戻すことは、既定の事項であり、何故に、そのときに、立替金と買戻金との精算をせず、買戻代金を、そのまま受け取ったのであろうか、という疑問点が生じるのであるが、検察官も、原判決も、この点について何ら指摘するものがない。
被告人は、長嶋外三名の三〇パーセントの半分の株式一万二〇〇〇株を、トスが、一株五〇〇円で有償の立て替えたをしたことにして、残りの半分を一株一〇〇〇円で買い戻す方法を採用し、計算上、トスは、長嶋外三名に対し、買戻金一二〇〇万円を支払い、長嶋外三名は、有償立替金六〇〇万円をトスに払い戻すことにしたが、実際には、トスから長嶋外三名に、合計六〇〇万円だけが支払われる方法となった旨供述している(弁四四号証被告人陳述書五六ページ)。株式の立替金と買戻金の精算というのは、簡便な方法を取るのが通常で、双方が金員のやり取りをしないで、相殺計算のうえでトスの支払だけになったという被告人の供述のほうが、実情に即しているのである。
(五) 本件株式を表象する株券の保管について
(1) 原審弁護人は、新宿西口メガネの増資後に、発行された本件株式六万九六〇〇株の株券が、トスの金庫(新宿西口メガネとの共同使用)に保管されている状況から、本件株式は、実質的にトスが保有することの表われと主張している(弁論要旨四五ページ)。これに対し、原判決は、『松野健二の検面調書(甲一九号証)によれば、トスの実態は、被告人の個人会社であったことから、トスと被告人の財産が混交し、被告人がトスの営業資金として自らの個人財産を注ぎ込んだり、被告人の所有に属する財産がトスの事務所に保管されることも稀ではなかったと認められるとして、株券がトスの金庫に保管されていたからといって、それが実質的にトスの所有に属することにはならない』と認定している。
(2) しかし、原判決の右認定は、本件株式は、被告人に帰属するものと、先に認定しながら、それを前提として、被告人の財産である本件株式の株券が、トスの金庫に保管されていると説明しているのに過ぎない。前述したように、新宿西口メガネの増資目的、トス名義での増資資金の捻出の状況からして、被告人にとって、本件株式は、トスの所有に属するもので、トスが保管するのは、当然のことなのである。
(3) 原判決は、右認定を力説するために、松野健二の供述を引用しているが、既に述べたように、当時のトスは、高島他二社と業務提携・資本提携していることから、トスが、実体的に、被告人の個人会社であるとみることはできないのである。ただ、中小企業の常として、代表者の個性が強く会社に反映することは、否めないことであり、従業員の立場からすれば、被告人の個人会社と映ることも、あり得ないわけではないが、その従業員の立場から見た側面のみを重視して、トスを被告人の個人会社と認定するのは、実態を誤ることになる。
また、原判決は、城義紀、田端稔の証言からも、トスと被告人の財産の混交の事実が窺えるような認定をしているが、同人らが証言しているのは、前述したように、トスの経理の特異性であり、被告人がトスのために調達してくる資金の出入りについて、日常的な経理処理の簡便化をはかるために、「松本扱い」という特別な勘定科目を設けていたというだけのことであり、トスと被告人の財産が混交していたという趣旨ではない。原判決は、同人らの証言を曲解しているものと言わざるを得ない。
(六) 長嶋外三名の従業員からの株式買戻資金について
(1) 原審弁護人は、昭和六一年一一月二五日の長嶋外三名の新宿西口メガネの従業員から、同社の株式の一部合計一万二〇〇〇株の買戻について、弁一三号証の協和銀行赤坂支店の取引明細表を根拠に、買戻資金はトスから出されていることから、トスに帰属している旨主張しているが、原判決は、これを排斥している。
(2) 原判決が、原審弁護人の主張を排斥した論拠は、第一に、昭和六一年一一月二五日の当日に、六〇〇万円が、前記協和銀行から払い戻されていることは認られるものの、これは、トスの被告人に対する貸付金となっているもので、右買戻は、被告人の計算において行われたものとしているところである。
しかし、何度も繰り返すように、新宿西口メガネの増資目的が何であったか、わざわざトス名義で増資手続をしたのは、いかなる意味があったのか等について、原判決は全く理解を示すことができず、さらに、買戻資金について、三〇〇〇万円の増資資金と同様に、有価証券取得費などとして、トスの経理上の処理として計上できなかった事情が全く理解されていないから、右のような誤った認定となったのである。被告人の目的意識は、トスの新宿西口メガネの株式保有で一貫しており、買戻資金も、トスが出すのは当然のことと考えていたのである。しかし、被告人は、トスと長嶋外三名の直接取引を示すような経理処理は、三〇〇〇万円の増資資金と同様にできないという心理状態に置かれていたのであり、これまた「松本扱い」という特別な勘定科目で、右出金を処理することにならざるを得なかったのである。また、「松本扱い」による貸付金の処理は、前述した被告人個人名義の定期預金を作るための貸付金と同様に、純粋な貸借関係にはならないのであり、被告人が、長嶋外三名から株式を買い戻せば、右「松本扱い」の貸付の目的が完了し、返済される必要はないものと適宜修正処理されるのである。
(3) 原判決は、第二の論拠として、買戻に際して作成された「株券売渡書」(甲二二、二三号証添付資料1)には、買取人が、いずれも被告人個人と表示されていることを挙げている。しかし、被告人は、右「株券売渡書」の存在を、本事件で逮捕されるまで知らなかったのであり(弁四四号証被告人陳述書五七ページ、第八回公判調書二八丁)、右「株券売渡書」が、どのような意図のもとで作成されたのか、わからないのである。「株券売渡書」の記載形式を見る限り、同書面は、被告人に株券を譲渡したという証拠として、被告人に交付するものとして作成されたとしか考えられない。しかるに、右株券売渡書は、「平成四年東地庁外領第一三五二号符合五七〇」で、領置されているようで、被告人から右売渡書が押収された事実はない。長嶋外三名の買戻を進めていた長嶋正男が(弁四四号証被告人陳述書四〇ページ)、気をきかせて作成したかも知れないが、右売渡書の作成には、被告人は一切関知していないのである。
さて、右株券売渡書が、誰が作成したかを詮索しても、そこに署名捺印した斉藤明、金原明弘の認識としては、被告人に株券を譲渡したことになる。しかし、被告人が「トスで買い戻す」と鮮明にすることは、田邨管理人の指示に反するものであるから、同管理人に通報される危険性が大きく、被告人としては、これを避けたいとの考えを有していたことは、前述(三)のとおりである。また、長嶋外三名から見れば、被告人がトスの代表者として行動することも、被告人自身の行動と受け取られてしまう側面を否定できない。すなわち、被告人が、内心の意思として、トスの資金で、トスの代表者として「株式を売ってほしい」と、長嶋らに持ちかけた場合においても、同人らにとっては、被告人が代表しているトスに売り渡すのか、被告人個人に売り渡すのか、被告人に確認しない限り、わかるはずはないのである。
要するに、右株券売渡書の形式に従って、買戻の株式も被告人の所有であると、すぐには判断できないのであり、買戻資金及び、被告人の増資の計画、目的など、その当時の事情に基づいて、帰属を判断すべきなのである。
(4) 原判決は、第三の論拠として、乙二号証添付資料8のメモには、長嶋外三名の持ち株について「松本孝司買取」という記載があり、買戻契約が、従業員と被告人との間で結ばれたことを裏づけているとしていることを挙げている。
しかし、これは、後述するユーロ借入金(インパクトローン)を、トスで協和銀行赤坂支店に申し入れたところ、トスの融資枠がいっぱいで、被告人個人名義による融資に切り替わったため、被告人個人に財産があるようにすることや、融資金の使用目的を右銀行に明らかにしなくてはならないことになり、その方便として、右メモを作成したのであり、事実とは異なる記載となっているのである。その証左としては、右メモには、田邨管理人によって否定された、第二回目の増資の二四万株の増資資金のことも、記載されているのである。
(5) 原判決は、第四の論拠として、長嶋、斉藤、金原の各検察官調書によれば、三名の従業員は、株式を譲渡した相手方が被告人であると認識して、トスであると認識し得るような事情はなかったことを挙げている。
これは、前述したように、被告人の買戻の行為が、トスを代表した行為であるとしても、「トスが買い戻す」と明言できない事情があったのである。
(6) 原判決の、第五の論拠は、石嵜信憲証人の証言に基づき、被告人は、もともと新宿西口メガネの株式は自分の株式であったので、従業員に渡すことは本意ではなく、管理人の説得などで、これに従った形式はとるが、半分は取り戻したいという意向であったと認められるとした点である。
確かに、石嵜証人は、原判決指摘のような証言をしているところがある。しかし反面、同証人は、増資六万株の出資金は、トスが出したものと被告人から説明を受けているとも証言しているのである(第四回公判・石嵜証言四丁)。
石嵜証人は、さくらやとの民事事件の担当弁護士であり、被告人から受任した時点では、本件事件の査察が入る前のことであり、被告人は、民事事件の説明において、トスが出資したものであることを話しているのである。また、最初の二万株が、被告人が河村前社長から譲り受けたものであり、もともとは被告人所有の株式であったことも説明しているのである。しかし、右民事事件は、さくらやに売却した本件株式を、いかに取り戻すかが依頼の趣旨であって、新宿西口メガネの増資目的、計画などについては争点になるはずはなく、被告人が、その点を同証人に詳しく説明する必要性はなかったのである。したがって、右の点を詳細に説明を受けていない石嵜証人が、最初の被告人所有の二万株と、トスの増資した六万株との連続性をよく理解していないのは、むしろ当然というべきである。
(7) 結論的に言うならば、従業員の株式の買戻に関して、被告人には「トスで買い戻す」ことを明言できない事情があり、実際に、従業員からも、相手先がトスか被告人かについて確認されていない。原判決のように、株券売渡書の記載などによれば、買戻の契約当事者名義は、従業員と被告人であると構成されることになる。しかし、被告人の新宿西口メガネの増資目的からすれば、田邨管理人の指示に従った形式を表向きはとるものの、実際には、これに反する行動をとる考えでいたのであり、新宿西口メガネの株式をトスが実質的に保有することも、右考えにしたがった行動なのである。右買戻行為も、表面的には、管理人の指示にしたがいながら、被告人の真の意図を、長嶋ら従業員にも、感づかれないようにして、その目的を達成しようとしたのである。その被告人の目的意識を証明できるのは、後に述べるように、本件株式の実質的受益者が、トスであることにほかならない。
したがって、原判決の買戻の資金六〇〇万円についての認定は、トスの表面的経理処理、株券売渡書など形式的な側面から判断したものであり、被告人の新宿西口メガネの増資目的などの実態を見誤ったものと言わざるを得ない。
(七) 差押回避のための名義変更について
(1) 原審弁護人は、新宿西口メガネの株式名義を、整理終了後において、刀川芳枝、松本真砂代名義にした理由について、トスが資金繰りに窮していたため、トスの債権者からの差押を避けるためである旨主張しているが、これに対し、原判決は、『しかし、当時の株式の名義は、既に分散されていたのであるから、差押え回避のためであれば、あえて名義を書き換える必要はなく、被告人が長嶋ら三名の従業員名義の株式以外の株式について、当時の内妻と長女名義に書き換えたということ自体、これらの株式が、実質的に被告人に帰属していたことを裏づけているというべきである』旨認定している。
(2) 確かに、差押を回避することのみでは、原判決の言うとおりかもしれないが、トスが倒産した場合を考えてみたとき、もともと他人である名義人らが、自分達が新宿西口メガネの株主であると、被告人や会社債権者に対し主張する可能性も考えられるので、これを排除すべき必要があった。だからこそ、被告人としては、トスの代表者として、十分にハンドリング、コントロールできる者を名義人にしようとしたのである(第一〇回・城証言九丁)。したがって、原判決の論法だけで、本件株式が実質的に被告人に帰属しているとは、言い得ないのである。
(八) 被告人個人名義の銀行預金口座について
(1) 原審弁護人は、本件株式代金の受け入れ先となった被告人の個人名義の三つの普通預金の通帳(協和銀行赤坂支店の総合口座通帳、三菱銀行新宿南口支店の総合口座通帳、三和銀行新都心支店の総合口座通帳)が、いずれも、トスの本社事務所の金庫内に保管され、国税当局によって差押されていること、トスは、トスの経理の特質である「松本扱い」のトスの資金の受入れ、管理、支出等を行うため、複数の被告人個人名義の普通預金口座を開設し、これらの預金に関する通帳及び銀行届出印は、トスの金庫に保管され、経理担当者において、同社の資金繰り計画に基づいて入出金などを行っていたことから、右三つの普通預金は、被告人の個人名義の預金であるが、実質的にはトスの預金であると主張している。
これに対して、原判決は、『トスの法人税確定申告書及び同控写(弁二一、二二、二三、三二、三三号証)に記載されている被告人名義の各定期預金は、税務署に提出すべき申告書添付の決算書にトスの預金として公表しているので、トスの預金とすることに問題はない』としながら、『右三つの普通預金は、いずれも法人税確定申告書に記載されていないから、トスの預金と見ることはできない』として、右弁護人の主張を排斥している。
(2) しかし、原判決のいうトスの「公表経理」に記載されていない預金は、すべてトスに帰属しないという論理は、本件の場合に当てはまるものではない。前述したように、トスでは「松本扱い」という特異の経理処理をしていたことは事実であり、「松本扱い」は、第一に、経理処理の簡便化のために、被告人が、トスのために調達してくる資金の入出金について、一括して「松本扱い」という勘定科目で処理し、決算時で修正するというものであり、第二に、銀行の個人預金獲得競争の協力要請を受けて、トスの資金を、被告人の個人名義の預金に振り替えるものの、トスの資金需要により、被告人個人名義のまま、その預金を利用することである。
要するに、トスの中に「松本扱い」という子会社的な独立部門があり(第一〇回・城証言では「経理ブロック」と言っている)、その中で、被告人がトスの資金として調達してきた資金に限り、トスと複数の相手先の間に「松本扱い」という相手勘定が一つになる、いわばフィルターのようなものを入れ、それを通して、資金のやりとりをするという、トスの資金循環を補完するシステムになっていたのである。この場合において、被告人は、トスのために調達すべき資金である現金、手形、小切手などを相手先から受取り、それを、常時持ち歩いたわけではないのは、当然である。被告人がトスのために調達してくる資金を、一時的にプールする預金口座が必要となってくるのである。そのために、被告人は、資金の調達の受皿として個人名義の「普通預金口座」を開設し(「定期預金」には対する外部からの振り込みはできないので、必然的に普通預金-総合口座預金となる)、これの通帳、銀行印を、トスの経理に保管させ、右預金に振り込まれる資金を引き出すというシステムをとっていたのである。「松本扱い」を管理するために、被告人個人名義の普通預金の通帳が、トスの本社に保管されるのは、トスにとって当然のことなのである。
前記三つの普通預金は、いずれも、本件株式代金の受入れ先であり、振り込まれた代金が、トスの資金として、使用されたのは明白であり、トスが、これらの預金通帳、銀行届出印を保管していることは、被告人及びトスの経理が、トスの預金として認識していたことを、明らかに物語るものがある。
(3) さて、原判決は、右三つの普通預金が、トスの決算書類上、トスの資産として計上されていないことを理由に、弁護人の主張を排斥しているが、前述した被告人個人名義の普通預金が、トスの資金調達の受皿となっていることからして、決算書類上、トスの資金として計上されていないのは、いわば当然のことなのである。すなわち、トスの資金調達の受皿になる被告人個人名義の普通預金口座は、資金を一時的にプールするだけで、すぐにトスの資金繰り計画の中で使用されていて、常に変動しているのであり、右のような一時的にプールされている資金が、トスの決算時にあるのかどうかは、わからないのであり、決算時に、右普通預金を計上するのは、無理というものである。また、一時的にプールされている資金であるから、決算時に全額引き下ろし、普通預金を0にして、決算書類上に記載しないことも可能である。さらに、常時引き出しが可能であるから、実際には引き出さないでも、決算時に、トスの現・預金の項目の「現金」の中にまとめて計上することも可能なのである。
原判決は、固定性のある定期預金と、常に変動する普通預金とを比較して論理を展開しているのであるが、この方法論は、右に述べたように、全くの誤りと言わざるを得ない。
したがって、原判決が、右論理の展開で、弁護人の主張を排斥したのは、証拠の取捨選択、評価を誤った事実誤認があると言わざるを得ない。
(九) 本件株式代金の使途について
(1) 原審弁護人は、本件株式代金一七億円余りが、すべてトスに入金していることを詳細に主張している(弁論要旨三六~三八ページ)。このことは、被告人が、本件株式をトスの株式と認識していたことから当然のことである。しかし、原判決は、『被告人名義の普通預金口座に入金された本件株式売却代金の使途状況をみると、その多くは、トスの預金口座に入金され、あるいはトスの借入金の返済に充てられるなど、トスの資金繰りのために費消されており、本件株式譲渡の受益者は実質的にトスであるようにも見える』としておきながら、『しかし、トスへの右代金の入金は、被告人からの長期借入金あるいは短期借入金として経理処理されており、このことは、本件株式譲渡が、やはり被告人の収支計算の下に行われたことを推認させるに十分な事実である』として、本件株式代金が、トスに入金されているとしても、それは、被告人のトスに対する長期借入金、短期借入金として経理処理されていることから、本件株式譲渡は、被告人の収支計算で行われた旨認定して、弁護人の主張を簡単に排斥している。
(2) しかしながら、何度も繰り返しているように、トスの特異な経理処理である「松本扱い」は、トスと複数の相手先の間に「松本扱い」というフィルターを入れた、トスの資金循環システムなのである。したがって、トスの「松本扱い」の借入、貸付の勘定は、純粋な貸借関係を表わすものではないのであり、決算時において、修正され、売上金や債権回収金、または、複数の相手先からの借入金などに振り替えられるのである。
その一例として、原審の弁護人は、本件株式譲渡代金が入金された時の、昭和六三年度の期末である平成元年一月三一日における被告人からの短期借入金として処理された金一〇億二二七七万七一〇二円について、詳細に主張している(弁論要旨八四~八六ページ、甲五七号証、弁二一号証の同年度の決算報告書の貸借対照表の負債の部)。
これを見る限り、トスの被告人からの短期借入金一〇億二二七七万七一〇二円のうち、
<1> トスが「松本扱い」のフィルターをはずして、直接の借入先分とした金二億二一三四万一二六三円が、
三和銀行・新宿新都心支店 四五、六一六、四九七円
太陽神戸・新宿新都心支店 八〇、三五一、七一六円
三和銀行・新宿新都心支店 九五、三七三、〇五〇円
合計 二二一、三四一、二六三円
(二億二一三四万一二六三円)
に修正され、振り替えられていることが明らかである(弁二一号証の「貸借対照表」、「借入金及び支払利子の内訳書」)。
<2> トスが「松本扱い」で入金した金八億四七〇五万二三三六円は、トスにとって返済の必要性のない本件株式代金の七億一四二九万二四三六円(弁五四号証-貸付金明細書)その他のものであるので、相手科目を「半製品勘定」として処理され、結果「松本扱い」の短期借入金は0となったのである(弁二一号証の「借入金及び支払利子の内訳書」)
(3) また、「松本扱い」で長期借入金で経理処理された本件株式代金も、同様な方法にて、被告人に返済の必要性のないものとして、トスにおいて修正、経理処理されているのである(第一一回公判・田端証言一〇丁)。
(4) 以上のとおり、「松本扱い」の借入、貸付は、トスと複数の相手先との間にあるフィルターのようなものであり、決算時に修正されている実態があることは明らかであり、原判決のように、被告人のトスに対する短期借入金、長期借入金があるから、本件株式譲渡は、被告人の収支計算の下で行われたもの、本件株式は被告人に帰属するものとの認定には、決してならないのである。
事実関係を素直に見れば、本件株式代金によって、被告人は、実質的に何らの利得を得ていないのであり、これに対し、トスは、本件株式代金の一七億円余りの金員を、すべて取得しており、本件株式譲渡の真の受益者は、トスであることが明白である。
さらに、これは、被告人の故意論で、詳細に主張するところであるが、被告人が原判決の認定のように、当時としては巨額な一七億四〇〇〇万円の所得隠しをしたとするならば、何故に、脱税手口の典型的、常套的な手段である、各株式名義人の銀行預金口座を開設せず、すべての代金を、被告人の個人名義の預金に入金し、そのまま、トスへの入金、トスへの借入先への返済を行ったのであろうか。脱税する意思があるとしては、被告人は、本当に呆れるほど何にも工作していないのであり、巨額な脱税の手口としては、すぐにでも発覚するような、拙劣、無計画、無配慮、杜撰なものとしか、言いようがないのである。
本件株式が、実質的にトスの所有するものだからこそ、被告人は、何の疑問を持たず、トスの経理で「松本扱い」となっている被告人個人名義の預金の入金をし、そこから全額をトスに入金したのである。
(5) トスに、すべての本件株式代金が入金されている事実、巨額な一七億四〇〇〇万円の所得隠しの工作を、被告人は一切していない事実からして「本件株式譲渡の真の受益者はトスである」と、認定するのが当然である。
原判決は、トスの経理処理の形式のみにかかわりあって、真の実態を見誤ったもので、重大な事実誤認をしているものと言わざるを得ない。
(一〇) 被告人名義のユーロ借入金(インパクローン)の返済について
(1) 原審弁護人は、本件株式代金のうち、五億五二六一万二五〇〇円が、協和銀行赤坂支店の被告人名義のユーロ借入金(以下「インパクローン」という)の返済に充てられており、その被告人名義のインパクローンは、トスが、被告人名義で融資を受けていたものと主張しているが、原判決は、これを排斥し、『協和銀行側は、明らかに被告人個人の信用等を調査したうえで、被告人個人を相手として融資を実行しているとして、右インパクローンの返済は被告人の計算において行われたことは明らかである』と認定している。
(2) 原判決の言う被告人個人の信用等の調査の内容によると、被告人が新宿西口メガネの株式一万二〇〇〇株を保有している前提で、被告人において同社の二四万株の四倍増資を行うと同時に、長嶋外三名が保有している同社の「二万四〇〇〇株」を買い取って、被告人の保有することになる株式を合計二七万六〇〇〇株として、アクアウェストに株式譲渡し、アクアウェストがヨドバシカメラに新宿西口メガネの営業譲渡をすることになっている(甲三六号証「貸出稟議書」中の支店長意見)。
しかし、その内容を検討すると、第一に、被告人が、昭和六一年四月頃に、城義紀と相談、計画した新宿西口メガネの二回にわたる四倍増資は、田邨管理人の反対を受け、右計画は頓挫してしまっているのであり(弁四四号証被告人陳述書五四ページ)昭和六二年六月時点における整理中の新宿西口メガネでは、全く不可能な四倍増資であり、したがって資金使途の「必要資金」の記載も事実とは異なること、第二に、長嶋外三名の保有する株式が「二万四〇〇〇株」としているが、原判決の認定によっても、昭和六一年一一月二五に、その半分の一万二〇〇〇株は譲渡されており、昭和六二年六月の時点で、長嶋外三名が「二万四〇〇〇株」を保有することはあり得ないこと、第三に、新宿西口メガネの株式譲渡先であるアクアウェストは、アメリカ合衆国の現地法人とされているのに、日本法人の株式を取得してから、すぐさまヨドバシカメラに営業譲渡することになっているのに、法的な検討が一切なされていないこと、第四に、被告人は、税法上株式譲渡のほうが有利だと言っているが、ヨドバシカメラが償却可能な営業譲渡を主張しているとの記載について、被告人は、後に述べるように、株式譲渡に関する税法的な知識は全くなく(昭和六三年六月二〇日に刀川芳枝、松本真砂代に新宿西口メガネの株券を裏書譲渡しているところでも明らか)事実とは全く違う事項が記載されていることなどからして、右貸出稟議書は虚偽の内容が多く、被告人の借入申込みは、到底「必要資金」と表示される新宿西口メガネ用の、四倍増資資金などの資金需要のためとは、全く考えられないのである。
(3) 信用調査の内容は、原判決の指摘するように、被告人個人の信用であるが、その信用の元になっているのは、トスが実質的に保有している新宿西口メガネの株式に外ならない。インパクローンの返済資金は、新宿西口メガネの株式売却代金で行う旨明記されていることからも明らかである(支店長意見書では「捕捉」としている)。
また、右のように、インパクローンの資金使途が、新宿西口メガネの資金需要ではないこと(同社の二四万株の四倍増資の実行は不可能で、実際にも行っていない)は、明らかであることと、インパクローンの実質的担保が、トスが実質的に保有する新宿西口メガネの株式である場合、インパクローンの資金使途は、トスのためとしか考えられないのである。
(4) また、実際にも、協和銀行赤坂支店のインパクローンは、被告人名義の預金口座に入金されたものの、証拠関係からしても、トスへ金二億二七八三万八六七八円が入金され(弁五二、五三号証)、被告人名義の定期預金一億二〇〇〇万円(弁五三号証被告人陳述書では一二〇〇万円となっているが、一億二〇〇〇万円の間違い)の合計金三億四七八三万八六七八円が、トスの資金として使用されているのである。勿論、右被告人名義の預金は、トスの特異の経理である「松本扱い」であり、トスは、被告人に返済するのではなく、協和銀行に返済する必要性のある借入金となったのであり、実際にも、昭和六三年一一月三〇日の元金返済までの利息を支払っていたのである(弁四四号証被告人陳述書一二六ページ)。
(5) 原審弁護人は、トスの資金需要のためのインパクローンが、トスではなく、被告人名義の借入となった理由について、トスの融資枠がいっぱいであったため、被告人名義の借入に切り替わられた旨主張しているが、原判決は、『トスの担保余力がないのに、融資を受けられないはずのトスが、融資を受けられたことになり明らかに矛盾している』と認定してる。
昭和六二年六月当時、トスの有する資産として大きかったものは、ヨドバシカメラが営業権の買い入れを希望している、新宿西口メガネの場所的価値を表象する同社の株式であったが、整理中は、田邨管理人の指示において、トスへの名義書き換えは不可能で、これを担保として、インパクローンの借入を行うことはできない状況下であった。そして、当時の協和銀行のトスに対する貸付残高は、七億九四四五万一千円にのぼっており(甲三六号証「貸出稟議書」添付の「エスト・トスグループ取引状況」)、資本金四〇〇〇万円のトスの億単位の借入申込みには、融資枠がいっぱい、担保余力がないと判断されるものとなった。ここで、被告人において、トスの資金借入のために、整理中は、トス名義では使えない新宿西口メガネの株式を、実質的に担保として利用する考えが生じたのであり、新宿西口メガネの実現不可能な二四万株の四倍増資の話や、ヨドバシカメラとの営業譲渡の交渉、仮契約の締結を方便として、被告人名義で、インパクローンの借入を行うことにより、トスの資金借入を可能としたのである。
貸出稟議書及びその付属資料は、社外秘であり、被告人が閲覧、作成に関与できる性質の書面ではなく、右貸出稟議書は、被告人の右四倍増資、ヨドバシカメラとの営業譲渡仮契約の話を、赤坂支店長及び協和銀行法人部第二課担当者が、うまくインパクローンの借入が実行できるように、組み合わせて作成したものなのである。
したがって、本件インパクローンの実体は、さまざまなテクニックや手段を使って、実質的に、トスが、トスの所有する新宿西口メガネの株式を担保に、資金を協和銀行から、借り入れたというものなのである。
(6) 以上のとおり、右インパクローンの借入は、トスの資金需要のため、トスが実質的に保有する新宿西口メガネの株式を事実上の担保として、被告人名義で借り入れたものであり、インパクローン借入の受益者は、トスであることは明らかである。そして、トスが実質的に保有する本件株式の売却代金で、右インパクローンを返済することは、実質的にトスの返済であり、被告人の計算収支において返済したとは、到底言い得ないものである。
原判決は、被告人名義のインパクローンの借入という形式のみにとらわれ過ぎているものであり、その融資の実態(受益者は誰かなど)を検討すれば、右インパクローンの借入は、実質的にはトスに対して行われたと判断されるべきで、やはり事実誤認があると言わざるを得ない。
(一一) 倒産寸前の会社に個人資産を注ぎ込むことはないとの点について
(1) 原審弁護人は、前記本件株式代金の使途に関して、被告人は、トスが倒産する危険性があるので、そのような会社に多額な個人資金を注ぎ込むはずはないので、本件株式は実質的にトスが所有するものであることを裏づけている旨の主張しているが(弁論要旨四〇ページ)、これに対し、原判決は、『トスが被告人の個人会社であるからこそ、その倒産を避けるため被告人が個人の資金を注ぎ込むことは、十分にあり得ること、というよりむしろ当然の行動であった』と認定している。
(2) 原判決が指摘する、トスが純粋に被告人の個人会社であったかについては、前述のとおり大いに異議のあるところであるが(トスの株主構成は、被告人が四九〇株、高島他二社三〇〇株一弁三二号証の「同族会社の判定に関する明細書」参照)、被告人が大事にしていた会社であったことに間違いはない。したがって、トスの倒産の危機を回避するために、被告人が、個人資金を会社に注ぎ込むことは、十分あり得ることと弁護人も思料する。しかし、そうだとしても、当時としては巨額な一七億四〇〇〇万円のほとんどすべてを個人資金として注ぎ込むというのは、余りも、異常であるとしか言いようがない。しかも、前述したように、本件株式譲渡のあった昭和六三年度の決算においては、被告人のトスに対する八億円余りの短期貸付金を0円にしてしまうというのは、原判決のように、右短期貸付金がトスに対する純粋な貸付金であるとの前提に立てば、驚くほどの異常性をもつことと言わざるを得ない。
一般的に、会社の代表者が、会社に金員を貸し付ける場合、その会社が代表者の個人会社であっても、会社に対する債権として残し、会社の業績の回復に応じて、右債権を回収していくのが普通である。本件の場合は、被告人のトスに対する短期貸付金は、一切債権として残らず、跡形もなく消えてしまったのであり、被告人は、一般的な会社と代表者との金銭貸借関係のような、トスの業績の回復に応じて、右短期貸付金を回収するすべを最初から失っている、または放棄しているということになる。個人資金を注ぎ込むといっても、その回収手段、権利が全く存在しないのは、貸借関係としては、正に異常状態である。したがって、本件の場合を、一般的な代表者と会社との貸借関係と見るのは間違いであり、また、個人資産を、ただ同然で注ぎ込むといっても、金額は余りにも巨額でありすぎる。
(3) このような事態に対する回答は、簡単である。すなわち、本件株式は、実質的にトスが所有しているものと、被告人が認識していたからにほかならないのである。原判決の指摘する論理は、金額によっては場合によりあり得るケースを、本件のような場合にも当然のように当てはめたしまったものであり、経験法則の適用を誤ったものと言わざるを得ない。
(一二) 民事事件の和解金の処理について
(1) 原審弁護人は、さくらやと被告人間の東京地方裁判所平成二年(ヨ)第二〇〇六号仮処分事件の和解で、被告人が受領した和解金八三〇〇万円は、トスの所有である新宿西口メガネの株式譲渡をめぐる事件であるので、トスに入金すべきものであるとの認識のもとに、その支払日当日に、田端稔を通して、トスの銀行預金口座に六四〇〇万円を入金し、さらに、一九〇〇万円を、トスの経理担当者に渡したとして、右和解金は被告人個人のものではなく、トスの取得すべき金員と考えていたこと、ひいては、本件株式がトス所有のものであることを、主張している(弁論要旨四〇ページ)。これに対し、原判決は、『右和解には利害関係人としてトスが加わっているのに、和解金八三〇〇万円はトスではなく、被告人に支払われていること、新宿西口メガネから被告人に退職慰労金として二五二二万四〇〇〇円が支払われてことから、右和解には、被告人個人が当事者として参加し、被告人個人に帰属するものとして和解金が支払われているとして、また、トスの総勘定元帳では、六四〇〇万円が、被告人からの長期借入金として処理されているから、右和解金は、被告人に帰属する』として、弁護人の右主張を排斥している。
(2) 原判決の指摘のように、右仮処分事件は、同地方裁判所平成元年(ワ)第一一四一四号株主名簿書換等請求事件に起因して提起された事件であり、被告人個人は当事者となっている。しかし、いずれの事件も、トスが実質的に所有していた本件株式をめぐる事件であるが、トスが、名義的には、本件株式の株主ではない以上、形式的名義人である被告人が当事者とならざる得ないのは当然である。和解条項第一項では、「被告人及び利害関係人刀川芳枝外四名は、昭和六三年一二月二一日、さくらやに対し、新宿西口メガネの株式六万九六〇〇株を代金合計一七億四〇〇〇万円で売り渡し、株券を全部交付し、代金全額を受領したことをそれぞれ確認する」とあり(弁四六号証和解調書)、本件株式の実質的な所有者のトスは、いずれも、本件株式譲渡関係では、除外されてしまっているが、このことをもって、実質上の株式の所有者がトスであることを直ちに否定することは、論理の飛躍があると言わなければならない。
(3) 被告人は、個人として右事件に参加しているが、訴訟の対象となっているのは、トスが実質的に所有する本件株式であり、それを起因とする和解金八三〇〇万円は、トスに帰属するものと考えるのは当然である。そして、被告人は、右和解のときに、二五〇〇万円余りの退職慰労金を受領しているが、これは、新宿西口メガネの代表取締役に就任していたことに起因するもので、トスの所有する本件株式とは関係ないので、これを被告人個人として受領し、トスへ入金しなかったことは当然である。要するに、被告人は、トスの本件株式に起因する和解金と被告人個人に起因する和解金とを、きちんと峻別していたのである。
(4) 原判決は、六四〇〇万円のトスの入金処理は、被告人からの長期借入金として処理されていることから、これは被告人に帰属するものとしているが、何度も繰り返しているように、この経理処理は、トスの特異な「松本扱い」勘定なのであり、いずれ何らかの勘定科目に振り替えられる予定のもので、トスが被告人に返済する必要性のないものなのである。
したがって、原判決は、被告人が個人として当事者になっていることをもって、被告人の受領した本件株式に起因する和解金は、被告人個人のものと認定しているが、以上述べたように、右認定は余りにも形式的な見方であり、右二つの事件が、実質的にトスの所有する本件株式をめぐる事件である実態を見過ごしている重大な事実誤認があると言わざるを得ない。
三、本件株式の帰属に関する結論
1、原判決は、本件株式が被告人に帰属すると認定しているが、前記のように詳細に述べたところから判明するように、原判決は、第一に、被告人がトスという企業を大きく育てようとした意思、その意思に基づく新宿西口メガネの増資計画を立て、トス名義で増資手続を行った理由のそれぞれについて、全く理解を示さないか、無視しているものであり、第二に、トスによる新宿西口メガネの増資計画が、管理人の反対を受けたため、被告人としては、管理人の指示に反してでも、トスに本件株式を実質的に所有させるように努力せざるを得ず、その結果、増資資金や従業員からの株式買戻資金などを、他の勘定科目での処理や、トスの特異な経理処理を行ったところ、その外形的事実に企業会計原則を形式的に適用したものであり、第三に、トスの特異な経理処理である「松本扱い」が、トスと相手先との間に「松本扱い」というフィルターを入れる、トスの資金循環を補完するシステムであることを理解せず、被告人とトスとの短期借入金、長期借入金処理の形式面のみに重点を置き、被告人とトス間の経理処理が一般的な貸借関係ではない実態(借入金が決算時に0となったり、他に振り替え修正されること)があることを無視したものであり、そのような形式的論理を貫くことにより、右のような「本件株式は被告人に帰属する」との誤った認定をしてしまったのである。
2、しかし、本件事案では、前述したように「本件株式が被告人に帰属する」ことを前提にしては、全く説明のつかない実態が厳然として存在するのである。その最たるものは、本件株式譲渡によって、被告人は、実質的に何らの利得を受けておらず、さらに、本件株式代金のすべてがトスに入金され、実態的には「真の受益者」は、トスそのものとなっていることである。原判決も「本件株式譲渡の受益者は実質的にトスであるようにも見える」と言っているが、正にそのとおりなのである(原判決一九丁)。
トスが、本件株式譲渡の「真の受益者」であることは、被告人の認識の中では、次のとおり首尾一貫しているのである。
<1> 新宿西口メガネの二万株の譲り受け。
<2> 泰共の設立と被告人の所有の二万株の泰共への譲渡
<3> 泰共の負債肩代りのために、二万株のトスへの譲渡
<4> トスの企業としての成長と新宿西口メガネの増資計画
<5> 「トスの資金」による新宿西口メガネの増資
<6> 「トスの資金」による長嶋外三名の新宿西口メガネの株式の買取
<7> トスの倒産の危機により内妻、長女への株券の裏書譲渡
<8> 本件株式代金すべてがトスに入金され、使用されたこと
右のうち、<5>、<6>については、原判決は、被告人がトスから借入をして行ったものと認定し、弁護人は、原判決の認定を強く争っているものであるが、いずれにしても、「トスの資金」そのものが使用されたことに間違いはないのである。
3、右のように、事実関係の実態的側面を素直に見れば、被告人が管理人の指示に反してまでもして、本件株式を実質的にトスに所有させようとした意思、本件株式についてトスの経理上処理できなかった事情、トスの経理における「松本扱い」の特異性のそれぞれを、理解されるはずであるところ、原判決の認定は、企業会計原則等の形式を重視するあまり、本件株式譲渡の「真の受益者」が誰であるか、さらに「真の受益者」が経理的側面からは見えない実態がどうして生じたのかなどについて理解を示せず、ひいては証拠の採否を誤った、重大な事実誤認があると言わざるを得ないのである。
4、以上のとおり、本件株式は、トスに帰属するものであり、公訴事実ならびに原判決の罪となるべき事実に記載される所得金額は、被告人個人に帰属するものではなく、トスに帰属するのであることは、明白であり、被告人は無罪である。
第三、被告人には本件事案につき「脱税の故意」が欠けていることについて
一、問題の所在
1、本件株式の帰属主体にかかる原判決の認定は、本件株式譲渡契約書やトスの「公表経理」など、形式的な側面に重点が置かれつつなされているが、この論理に対し、弁護人が、その実体を重視して、「真の受益者」がトスであると反論をしてきたのは、前述のとおりである。
2、もし、仮に、原判決の認定のとおり、本件株式の帰属主体が被告人であるとするならば、前記のように詳述したとおり、被告人は、本件株式の譲渡代金をすべてトスに入金したこと、脱税発覚を防止するための工作を何らしていないこと、等から明らかのように、トスの特異な経理処理の原因により、本件株式の帰属主体を誤認した「事実の錯誤」があり、本件脱税事案の構成要件的故意を欠いたものと言わざるを得ない。以下、本項では、原判決認定のとおり、本件株式の帰属主体が被告人であることを前提に「事実の錯誤」を論述する。
原審弁護人は、本件株式の帰属主体をもっぱら中心争点にして、被告人の故意論を明確に主張していないので、当審弁護人は、被告人の本件株式の帰属主体にかかる事実についての誤信・誤認の「事実の錯誤」に関する主張を、当審において行うものである。
二、本件株式の帰属主体の誤認について
1、本件株式が、私法上、トスではなく被告人に帰属するものとされても、被告人の認識は、トスが実質的に所有するものと思っていたものであり、これは事実認識にかかる誤認と言うべく、本件株式の帰属主体の誤認は、「事実の錯誤」にほかならない。
すなわち、原判決の認めるとおり、法律的な貸借関係は別として、三〇〇〇万円の増資資金に関しては、トス名義でトスの資金によって行っていること、さらに、長嶋外三名からの株式買戻資金も、トスの資金によって行われていることは明らかで、トス及び被告人は、その資金処理を、新宿西口メガネの株式をトス名義にすることに反対の田邨管理人をはばかって、他の勘定科目や、トスの特異な「松本扱い」という経理処理にしてしまったのであるが、被告人は、このような経理処理をすることにより、法律的解釈において、トスが実質的に本件株式を所有するものではなく、被告人の所有に属することになってしまう場合があるとは、全く認識できなかったのであり、そのために、本件株式の帰属主体を誤認するに至ったのである。その誤認には、前提に経理処理上の企業会計原則の誤認もあるが、被告人は、いずれも「トスが出資した」「トスが買い戻した」と何らの疑問なく考え、従って、ここには本件株式の帰属主体たる事実に関する思い込みがあり、このことは、被告人において、正に「事実の錯誤」があったと言うにほかならない。
2、本件株式の帰属主体の誤信・誤認の基礎たる事実関係は、本書面第二項の「本件株式の帰属主体がトスである」と詳細に主張した事実関係と同じである。
すなわち、
(1) 第一に、被告人は、河村洋治から譲り受けた新宿西口メガネの二万株の株式を、会社に同株式を保有させる目的にて、設立した泰共に譲渡し、さらに、泰共が事実上の倒産をしたため、泰共の負債の肩代りを条件に、トスに同株式を譲渡したこと
(2) 第二に、被告人は、トスの急成長に伴い、トスの資金による新宿西口メガネの整理を終結させ、同時に、新宿西口メガネを、実質的にも、名義的にも、トスの傘下の企業にする目的にて、二回に渡る増資計画を立案したこと
(3) 第三に、右被告人の新宿西口メガネの増資計画は、整理管理人の田邨弁護士の反対を受け、トスに対する第三者割当増資は認められず、同管理人の指示により分散された名義人に対する増資、及び長嶋正男外三名の従業員に新旧株式の三〇パーセントを保有させる条件での増資に変更させられたが、被告人は、同管理人の指示に表面的には従いながらも、これに反して、トスに増資新株を所有させる目的にて、実質的トスの預金である四〇〇〇万円の定期預金を資金として、トス名義で右増資の株式払込金を支出したこと
(4) 第四に、被告人は、管理人の指示である長嶋外三名の新宿西口メガネの株式三〇パーセントの保有については、トスによる増資計画に反するものとして、長嶋外三名から、トスの資金六〇〇万円を、もって、同人らが所有する半分の合計一万二〇〇〇株を買い戻したこと
であり、被告人は、トスによる新宿西口メガネの株式保有という目的を一貫して有していたのであり、新宿西口メガネの六万株の増資の資金、長嶋外三名からの株式一部の買戻の資金は、いずれも、トスの資金であることは明らかであり、ここに、被告人の「トスが出資したと思った」「トスが買い戻したと思った」という本件株式の帰属主体がトスであるとの認識が生じるのである。
3、被告人が、右のような本件株式の帰属主体を誤信・誤認した事実を証明するものは、第一に、トスの倒産の危機に際して、差押回避のため、被告人の内妻、長女名義への新宿西口メガネの株券の裏書きをしたこと、第二に、本件株式の譲渡代金すべてがトスに入金され使用されたことである。被告人は、本件株式をトスが実質的に所有すると思っているので、何らの疑いを持たず、トスの管理する「松本扱い」の被告人名義の普通預金に入金された本件株式の譲渡代金を、トスに入金したのである。
4、また、トスには、前述したように「松本扱い」という特異な経理処理があり、被告人は、「松本扱い」の経理処理が、被告人とトス間の通常の貸借関係を表わすものではないと認識しており、原判決の指摘するように、この処理によって、本件株式の帰属主体がトスではなく、被告人となるとは全く認識していなかった。右被告人の認識を証明するものとしては、本件株式の譲渡代金を含む被告人のトスに対する短期貸付金が、決算時に0となる実態が存在することである。
5、以上のことから、原判決の認定するように、トスの経理処理の法律的解釈によって、トスが実質的に本件株式を所有するものではなく、被告人の所有に属することになっても、被告人が本件株式が実質的にトスが所有するものと認識しており、その誤信・誤認は、正に「事実の錯誤」であり、本件脱税事案の構成要件的故意を欠くものと言わざるを得ない。
三、原判決の認定する本件株式譲渡、及び被告人の本件株式の帰属の認識について
1、原判決は、事実認定において、本件株式の譲渡契約に対し、被告人が主導的な役割をしているものと認定し、被告人が、最初から、自己の所得税を免れようと企て、さくらやに対し本件株式譲渡の取引を持ちかけ、本件株式を他人名義で行う方法により、その譲渡所得を秘匿した旨の認定をし、さらに、原判決は、被告人の自白調書の信用性のところにおいても、「被告人が、国税局の調査段階、検察官の取調段階においても、本件株式の帰属を争っていたとする被告人の公判廷の供述は信用できない」旨認定している。しかし、右認定は明らかに誤っている。
2、すなわち、原判決は、本件脱税事案が、被告人の確定的な故意に基づく所為であり、被告人が、本件株式の帰属主体をトスであると認識していたことの事実、その主張をしていた事実さえ否定しているのである。右原判決の認定のとおりとすれば、弁護人の主張する前記二の「事実の錯誤」はその前提事実を全く欠き成立し得ないものとなる。
しかし、原判決の右認定は、本件株式譲渡に至る経過、三菱銀行の情報開発部の担当者の重大な関与などについて、一切無視していることから、被告人が本件株式譲渡契約を主導的に行ったものとし、被告人の「本件株式は実質的にトスが所有する」との認識、主張はあり得ないものと断定し、それに沿う被告人の自白調書の信用性までも認めてしまい、右のような誤った認定をしてしまったのである。そこで、弁護人は、ヨドバシカメラとの営業譲渡から、さくらやへの本件株式譲渡までの経過、さくらやとの本件株式譲渡の締結について、詳細に主張し、原判決の右認定の誤りを指摘し、さらに、これらの事実にかかる被告人の自白調書に信用性のないことを論証して、被告人が、本件株式の帰属主体の事実に関する誤認をするに至ったことを明らかにするものである。以下右の視点から、第一に、ヨドバシカメラとの営業譲渡仮契約からさくらやへの本件株式譲渡までの経過、第二に、さくらやとの本件株式譲渡契約の締結に関する件、第三に、被告人の自白調書の信用性について、第四に、錯誤の態様について、それぞれ論述していくものとする。
四、ヨドバシカメラとの営業譲渡契約から、さくらやへの本件株式譲渡までの経緯について
1、原判決の認定について
原判決は、事実認定において「被告人は、新宿西口メガネの営業譲渡の話を同店の隣でカメラ等の小売販売営むヨドバシカメラに持ちかけ、昭和六二年六月二九日、同社との間で営業譲渡の仮契約書を取り交わしたが、その後、右交渉は中断したままとなった」と認定し(原判決五丁)、また、原判決は、続けて「被告人は、トスの資金繰りに窮したことから、三菱銀行情報開発部の仲介により、新宿駅東口でカメラ等の小売りを営むさくらやに新宿西口メガネの株式を譲渡することにし」と認定していることから(同六丁)、被告人が、最初から自己の所得税を免れようと企て、さくらやに対し、本件株式譲渡の取引を持ちかけ、本件株式譲渡を他人名義で行う方法により、その譲渡所得を秘匿した旨の認定をしている。
しかし、原判決の、右ヨドバシカメラとの営業譲渡及びさくらやへの本件株式譲渡の事実認定は、全くの誤りである。ヨドバシカメラとの新宿西口メガネの営業譲渡、更にさくらやとの本件株式譲渡の実態を、つぶさに且つ慎重に検討すれば、被告人が、脱税の認識を欠いていること、ひいては脱税の故意を全く欠いていたことは、明白となるのである。
2、ヨドバシカメラとの新宿西口メガネの営業譲渡仮契約について
(一) 新宿西口メガネとヨドバシカメラの本店は、隣接しており、新宿西口メガネは、かつて「ヨドバシメガネ」という商号でメガネ等の小売販売をしていたため、商号が紛らわしいとのことで、新宿西口メガネは「ヨドバシメガネ」の商号を「新宿西口メガネ」と変更した経緯があった(弁八号証、乙二号証添付資料一の第一三条参照)。
(二) 被告人は、昭和六二年五月頃、長嶋正男から、ヨドバシカメラが新宿西口メガネの店舗を買いたがっているので、是非会ってほしいと言われ、これを契機として、ヨドバシカメラの藤沢昭和社長、担当の常務取締役との間で、交渉が進められることになった(弁四四号証被告人陳述書六二ページ)。したがって、原判決の認定のように「被告人がヨドバシカメラに対し新宿西口メガネの営業譲渡を持ちかけた」のではなく、むしろ、ヨドバシカメラから、営業譲渡の取引が持ちかけられたのである。このことは、甲三六号証の貸出稟議書に添付されている、ヨドバシカメラの代理人弁護士近藤節男名義の「買入申出書」からも明白である。右買入申出書は、昭和六二年一月八日付けで作成され、新宿西口メガネの管理人田邨弁護士宛提出されていることが明らかである。右のことから、新宿西口メガネの営業譲渡の取引は、ヨドバシカメラが、最初に田邨弁護士に持ちかけ、そして、被告人に持ちかけてきたものであることが判明するのである。
したがって、原判決が、最初から「被告人がヨドバシカメラに新宿西口メガネの営業譲渡を持ちかけた」と認定するのは、全くの事実誤認と言わざるを得ない。
3、ヨドバシカメラとの第二回目の交渉について
(一) 被告人は、翌昭和六三年五月頃になって、取引先のイナバックの不渡手形を受けたり、同じく横浜ナビゲーションシステムの前渡金が回収不能となったりして、トスの資金繰りに窮したことから、右営業譲渡仮契約に基づき、中断していたヨドバシカメラとの新宿西口メガネの営業譲渡の取引交渉を再開した(弁四四号証被告人陳述書六六ページ、第八回被告人公判調書四〇丁)。
しかし、原判決は、ヨドバシカメラとの二度目の新宿西口メガネの営業譲渡の交渉の経緯を無視して、すぐさま、さくらやとの株式譲渡契約に結びつけて、そのような経過はないものように認定してしまっているが、これも重大な誤りである。
(二) ヨドバシカメラの社長藤沢昭和は、被告人とヨドバシカメラとの間で、新宿西口メガネに関する第二回目の交渉があったことを認めている(甲二四号証藤沢検面調書第三項)。藤沢社長は、第二回目の交渉の内容について「被告人が新宿西口メガネの株式を買わないかと持ちかけ、その株式代金は二〇億円位で、値段が折り合わず、この時の話も消えてしまった」旨供述している。
しかし、第二回目の交渉内容は、新宿西口メガネの株式を譲渡する旨の交渉ではなく、あくまで営業譲渡に関する交渉であって、右藤沢供述には、さくらやと被告人(トス)との株式譲渡契約後になされた、被告人とヨドバシカメラとの新宿西口メガネの株式譲渡の交渉とを、混同してしまった記憶違いがある。 (三)ヨドバシカメラのとの第一回目、中断後の第二回目の交渉内容が、新宿西口メガネの営業譲渡であることの背景は、新宿西口メガネの価値は、その店舗の場所的な価値そのものであり、ヨドバシカメラが、営業譲渡の契約形式でよいと判断したのは、店舗賃借権の譲渡について、右店舗の賃貸人の株式会社協立商会とヨドバシカメラが友好関係にあり、賃借権譲渡の承認には何らの問題がなかったからである。この点に関し、藤沢社長は、原審において次のように証言している(第五回公判調書五丁)。
(問)「西口メガネがさくらやに買い取られ、ヨドバシの目と鼻の先という場所で営業されては困るという考えではなかったですか。」
(答)「そういうことばかりではありません。家主からも使ってくれないかという話があったことがあって、今回の件の話のときに家主に相談したところ、家主は全然関係していないので売主ときちっと話をしたらということでした。」
右証言内容は、新宿西口メガネの店舗の家主である協立商会と、ヨドバシカメラが友好関係にあったことを示すものであり、ヨドバシカメラが、新宿西口メガネの店舗価値を取得するについて、営業譲渡契約の形式で、必要かつ十分であったことを示すものがある。また、新宿西口メガネの価値が、その店舗の場所的な価値そのものであることは、さくらやの羽倉秀秋社長も認めるところであり、原審でも、そのように証言している(第三回公判調書七丁一「当時バブルで保証金が高くて借りても一〇億、二〇億ということになりますから」)。勿論、被告人は、新宿西口メガネの価値が、その店舗の場所的価値であることを十分に認識していた(弁四四号証被告人陳述書九四ページ)。
(四) 右のように、ヨドバシカメラ、及び、さくらやとも、新宿西口メガネの店舗の場所的価値を認めながら、その取得する手続には、大きな違いがあった。すなわち、ヨドバシカメラは、家主の協立商会との友好関係から、賃借権譲渡を含む営業譲渡形式で、必要かつ十分であるに対し、さくらやは、家主との右のような関係がないことから、店舗の場所的価値を、営業譲渡契約で取得するには、賃借権譲渡の承認手続が問題となることから、株式譲渡の方式までが必要となったのである。
ヨドバシカメラ、さくらやの、新宿西口メガネの店舗の場所的価値を取得する方法の違いが、営業譲渡契約から株式譲渡契約へと、契約形式の大きな変更をもたらすことになったのである。ヨドバシカメラと交渉をしていた当時の被告人としては、さくらやに対しても、新宿西口メガネの店舗の場所的価値の譲渡を、ヨドバシカメラと同様に営業譲渡契約で十分可能であると思っていたのであり、さくらやとの交渉開始時において、まさか営業譲渡契約が株式譲渡契約に変更されるとは、夢にも思っていなかったのである。
(五) さらに、被告人とヨドバシカメラとの第二回目の交渉内容が、昭和六二年六月二九日付営業譲渡仮契約に基づく、新宿西口メガネの営業譲渡に関するものであることは、原審における飯柴正美の証言によって、明らかにされているのである。
飯柴正美は、原審において次のように証言している(第二回公判調書二丁)。
(問)「あなたが最初にこの情報に接したとき、新宿西口メガネをヨドバシカメラに売ることにして営業譲渡の仮契約まで結んだが、ヨドバシカメラとの取引を断わった、そこで今度はさくらやに売りたいと被告人が言っているという内容の情報でしたか。」
(答)「そうです。」
原審における、右飯柴の証言以外の証言は、肝心な事項において、覚えていないとか、ヨドバシカメラとの営業譲渡の仮契約書を、当時は見ていないなどと、不自然なものが多いが、企業買収、M&Aの専門部署である三菱銀行情報開発部の担当者が、少なくとも、被告人が、新宿西口メガネの何を、どのような形式で、いくらで売りたいのか、という情報を入手するのは、業務上当然であり(その情報なしで仲介業務をすることはあり得ない)、右証言からは、さくらやとの株式譲渡の取引の前では、被告人とヨドバシカメラにおいて新宿西口メガネの営業譲渡の交渉をしていた事実があったことが明らかである。
4、被告人とさくらやとの当初の交渉について
(一) 被告人及び弁護人は、原審において、さくらやとの当初の交渉は、新宿西口メガネの営業譲渡の交渉で、株式譲渡の交渉ではないと主張している(弁四四号証被告人陳述書七〇ページ、被告人第九回公判調書一三丁)。前述した第二回目のヨドバシカメラと新宿西口メガネの営業譲渡の交渉は、第一回目の交渉とは違い、ヨドバシカメラからではなく、被告人から持ちかけた取引のため、ヨドバシカメラは、従業員の引き取り問題を理由に、譲渡代金二〇億円を三億円程値引し、代金一七億円であれば、新宿西口メガネの営業譲渡を受けるという話を持ちかけた。被告人は、ヨドバシカメラが提示する譲渡代金一七億円に強い不満を覚え、ヨドバシカメラとの第二回目の交渉を、昭和六三年一〇月頃に打ち切った(弁四四号証被告人陳述書六七ページ、被告人第八回公判調書四三~四四丁)。そして、被告人は、同時期頃に、三菱銀行新宿南口支店の担当者に、新宿西口メガネの営業譲渡を受ける先はないかと相談し、同支店長に対し、新宿西口メガネの営業譲渡の仲介を依頼し、ヨドバシカメラとの営業譲渡仮契約書、及び新宿西口メガネの店舗賃貸借契約書のコピーを渡した(被告人第九回公判調書一〇~一一丁)
(二) 右のような経過からすれば、被告人が、さくらやに売却したいと申し入れたのは、新宿西口メガネの営業権そのものであり、同社の株式ではないことは明白である。被告人は、昭和六三年一一月一五日に、三菱銀行新宿支店の支店長室で、初めて、さくらやの羽倉秀秋社長と会い、同人及び出席した三菱銀行情報開発部の担当者らに対し、ヨドバシカメラとの交渉経過を説明し、ヨドバシカメラとの仮契約と同じ内容、条件で、代金二〇億円で新宿西口メガネの営業譲渡をしたいと、右羽倉社長に申し入れた(弁四四号証被告人陳述書七〇ページ、被告人第九回公判調書一三丁)。この点に関し、さくらやの羽倉秀秋社長は、原審において、被告人の主張を認める証言している(第三回公判調書五丁)。
(問)「被告人は、ヨドバシカメラとの仮契約があるから、その仮契約の内容、条件と同様の条件でさくらやに売りたいという話をしていませんでしたか」
(答)「そうです。それが売買契約二〇億円という根拠です。」
(問)「いくらで何を売るのかというのは初めに会ったとき、おおよそその線は話しましたか。」
(答)「二〇億円で新宿西口メガネの営業権をということです」
なお、羽倉社長は、すぐに右証言は間違いである旨訂正しているが、第一回目の売買交渉の際に、買主側が、売主側の条件、すなわち、売買の対象物が何であるか、その代金はいくらで、その根拠は何であるかを聞くのは当然であり、被告人が最初の交渉時に話さない訳はないのであって、被告人の主張に沿う前記の証言のほうが正しいものと言わざるを得ない。また、前記証言は、原審の弁護人の誘導によるものではないことは明らかであり、羽倉社長は、結果的に右取引が、株式譲渡契約になったことから、それに気づいて、あわてて、右証言を訂正したのである。
(三) さらに、被告人が、さくらやに対し、最初から、新宿西口メガネの株式譲渡の取引を持ちかけることは、絶対にあり得ないのである。新宿西口メガネの発行済株式総数は、八万株であり、そのうち、トスが実質的に所有している株式は、六万九六〇〇株であり、残り一万四〇〇株は、長嶋正男ら取締役三名が所有しているのである。新宿西口メガネの営業譲渡であれば、譲渡人は、当然新宿西口メガネという法人であり、営業譲渡の承認に関する何らかの補償問題が生じることになるが、長嶋ら三名の所有する株式が直接的にからんでくるものではない。しかし、株式譲渡ということになれば、売主は株主であり、長嶋ら三名の取締役の株式の譲渡も行う必要があり、長嶋らの売却する一株単価は、トスが受ける一株単価と同様になるのは当然のこととなる。したがって、譲渡代金の総額が二〇億円とする場合、株式譲渡契約にすれば、長嶋正男ら三名の株主分が、トスと同一の単価にて、当然そこから引かれてしまうのである。譲渡代金二〇億円を値切るヨドバシカメラとの交渉を打ち切った被告人が、右のように当然代金減額となる株式譲渡形式による契約締結を、考えるわけがないのである。
5、以上のとおり、原審における証拠関係においても、被告人が、当初、ヨドバシカメラに対し、新宿西口メガネの営業譲渡の取引を持ちかけたことはないし、また、第二回目のヨドバシカメラとの交渉も、新宿西口メガネの営業譲渡に関するものであり、ましてや、さくらやに対し、新宿西口メガネの株式譲渡の取引を持ちかけたことはないのである。
五、さくらやとの本件株式譲渡契約について
1、新宿西口メガネの営業譲渡から株式譲渡への変更
(一) 前述したように、被告人は、さくらやに対し、初めから、本件株式の譲渡の取引を持ちかけたものではなく、ヨドバシカメラと同様に、新宿西口メガネの営業譲渡を、譲渡代金二〇億円と指定して、取引したいと申し入れたことが、明らかである。
さらに、被告人が、ヨドバシカメラが一七億円に値切ったので、ヨドバシカメラとの交渉を打ち切ったことも、譲渡代金二〇億円を下回る金額で取引しない考えを有していたことは、さくらやの羽倉社長や、三菱銀行情報開発部の担当者は、十分承知していたのである(第二回公判・飯柴正美証言五丁、第三回公判・羽倉証言三丁)。
(二) 被告人は、昭和六三年一一月一五日の、さくらやの羽倉社長との第一回目の交渉時に、新宿西口メガネの代表取締役、且つトスの代表取締役の立場及び権限で、羽倉社長に対し、新宿西口メガネの営業権を代金二〇億円で売りたいと提示し、羽倉社長は、二〇億円で新宿西口メガネの営業権を買う旨回答し、契約書の作成は、同席していた三菱銀行情報開発部に任せることにした(弁四四号証被告人陳述書七〇、七三ページ、同第九回公判調書一三~一四丁、一七丁)。
その時、被告人は、三菱銀行の担当者から、重要な資産を売却するときは、株主の同意が必要であるとして、新宿西口メガネの株主構成を聞かれ、これに対し、被告人は、新宿西口メガネの株式の大部分は、実質的にトスが所有しており、且つ、被告人がトスを支配しているので、営業譲渡の承認には問題がない旨答えたが、同担当者は、それでも、株主名簿の提出を求め、被告人もこれに応じることになった。その際、被告人は、新宿西口メガネは、昭和六三年四月まで、整理手続中の会社であり、同社の大部分の株式は、実質的にトスの所有であるものの、管理人の指示により、トス以外の名義に分散されていることを説明した(前掲・弁四四号証被告人陳述書、同第九回公判調書)。
(三) 被告人は、新宿西口メガネの株主名簿の提出については、右取引について守秘するよう求められたことから、株主名簿を管理している長嶋正男に、同名簿を出すように言えず、トスの総務部長の松野健二に、発行済み株式八万株になるように、株主名簿を作成させ、三菱銀行に提出した。被告人の当時の認識は、さくらやとの取引は、前述したように、新宿西口メガネの営業譲渡であり、株主の承認が必要としても、同社の大部分の株式は、実質的にトスが所有しているのであるから、譲渡承認に問題はなく、形式上の株主構成、持ち株数は、重要な事柄でないと考えていた(弁四四号証被告人陳述書七四ページ)。
ところが、仮契約を締結したいとの連絡があり、同年一一月二二日午後七時三〇分に、被告人が指定された三菱銀行新宿支店に出向いたところ、被告人は、三菱銀行の担当者が作成した基本合意書(甲一一号証添付資料一)を、その場で示され、新宿西口メガネの譲渡に関しては、営業譲渡形式ではなく、株式譲渡形式を採用する旨、突然、通告されたのである(弁四四号証被告人陳述書七五ページ、被告人第九回公判調書一八~一九丁、時刻については甲一二号証添付資料一の飯柴作成の経過表参照)。
(四) 株式譲渡契約形式の基本合意書の提示が突然であったことは、被告人の公判供述のほか、次の点からも明らかである。
(1) 第二回公判の飯柴証言、及び同検面調書添付資料一によれば、
<1> 右基本合意書の作成者は、三菱銀行情報開発部の担当者飯柴正美であり、飯柴は、基本合意書を昭和六三年一一月一八日に、さくらやの羽倉社長に渡したこと
<2> 飯柴が、右基本合意書を作成するに当たり、被告人との間で、打ち合わせをした形跡は一切なく、基本合意書を羽倉社長と同様に、事前に被告人に提示した事実はないことが明らかである。
(2) その反面、飯柴は、右基本合意書を締結した同月二二日の前日である二一日に、被告人と羽倉社長が、右基本合意書の件で会談した結果、基本合意書を締結したような供述をし(甲一二号証飯柴検面調書第八項)、添付資料一の経過表にも、その旨の記載がある。
しかし、被告人と羽倉社長が、右基本合意書の件で、締結日の前日に会談した事実は全くない(弁四四号証被告人陳述書七五ページ、被告人第九回公判調書一八丁、甲一一号証羽倉検面調書、第三回公判・羽倉証言)。甲一二号証添付資料一の飯柴作成の経過表を、子細に検討すると、同経過表の「一一月二二日」の項は、「羽倉社長と松本氏の会談(一一月二一日)の結果、本日基本同意書を締結」とあり、飯柴ら三菱銀行担当者が、一一月二二日の基本合意書締結のときに関与したような形になっており、その前日の、二一日の羽倉社長と被告人の会談には、その会談場所、時刻、出席者も特定されておらず、飯柴ら三菱銀行担当者が、何ら関与していないような形式になっている。もし、飯柴ら三菱銀行の担当者が、右会談に関与しているならば、経過表にあるその他の月日の項目のように、一一月二一日の項目を設け、会談場所、時刻、出席者を特定して、一一月二二日の前に記載するはずである。とすれば、被告人と羽倉社長は、三菱銀行の担当者を抜きにして、基本合意書についての会談をしたことになるが、右基本合意書の作成者を除外して、その件の会談をするのは、あり得ることではない。羽倉社長は、「(西口メガネのあそこ(店舗)の権利が全部取得できればいいと思って)後は、MアンドAがやってくれると」思っていたのであり(第三回公判・羽倉証言一七丁)、基本合意書に関する被告人と羽倉社長との一対一の交渉は、仲介人を依頼した取引形態においては、絶対にあり得ないのである。
右添付資料一の経過表は、後に述べるように、一二月三日の項目の「株主を特定するために新宿西口メガネの取締役会議事録を調査した」箇所が、議事録作成に対する飯柴の重要な関与を隠蔽するための記載であることと同様に、「一一月二二日」の項目についても、右基本合意書を締結するよう被告人に対し強く促した。三菱銀行の担当者の重要な関与を隠蔽するために、事前に被告人の了解があったような記載をしたと考えられる。
(3) また、飯柴は、基本合意書を、事前に、羽倉社長に提出しているが、一方の当事者である被告人には、何故に提出しなかったのであろうか。三菱銀行情報開発部は、明らかに、さくらや側に立っていたからである。前述のように、被告人は、一一月一五日の交渉時において、さくらや及び三菱銀行情報開発部の担当者に対し、さくらやとの取引は、ヨドバシカメラと同様に、新宿西口メガネの営業譲渡で、譲渡代金は二〇億円であると、明確に契約形式、代金を指定している。その譲渡形態を、さくらや側の都合で、株式譲渡に変更することは、当然、長嶋ら三名の株式分が除かれ、被告人側(弁護人の主張ではトス側)に渡る譲渡代金が、二〇億円より減額になる。ヨドバシカメラとの交渉を蹴ってまでして、譲渡代金二〇億円に固執している被告人に対し、もし、事前に、基本合意書を提示すれば、被告人の拒否により、新宿西口メガネの譲渡がうまくいかない可能性が十分に考えられた。さくらやは、ライバル会社に知られないうちに、新宿西口メガネを譲り受けることを急いでいたので(甲一二号証飯柴検面調書第七項)、その意を受けた三菱銀行の担当者らは、事前に、基本合意書を被告人に提示することなく、一一月二二日の午後七時三〇分から、基本合意書の締結を行うことにして、被告人に考慮時間を与えない作戦に出て、その場で初めて株式譲渡形式の話を持ち出したのである。通常、二〇億円くらいの取引は、午前とか、午後でも一時とか早い時間で行われるのであり、本件のように夜の午後七時三〇分に行うというのは、それ自体異常なことであり、右の事実は、契約時刻からしても十分に推認できるのである。
(4) 以上のとおり、昭和六三年一一月二二日に、被告人が三菱銀行の担当者から、新宿西口メガネの株式譲渡に関する基本合意書を、突然、提示されたことは、まぎれもない事実である。
(五) 昭和六三年一一月二二日に、新宿西口メガネの営業譲渡の取引が、同社の株式譲渡に、突然変更されて、被告人が驚き、異議を唱えるのは当然である。しかし、結果的に、被告人は、株式譲渡に関する基本合意書の締結に応じたのであるが、これは、どういう理由によるものであろうか、ここに、三菱銀行情報開発部の担当者の重大な関与があったのである。
(1) 株式譲渡に関する基本合意書によると、被告人が、トスが実質的に所有する株式六万九六〇〇株は勿論のこと、同人の責任をもって長嶋ら三名が所有する株式一万四〇〇株を、さくらやに譲渡させることになるが(基本合意書第二項)、新宿西口メガネの営業譲渡の場合と異なり、長嶋ら三名が、さくらやへの直接の売主となるので、譲渡代金二〇億円から、長嶋ら三名の株式分が差し引かれ、被告人側(トス側)が、受け取る金額は、一七億四〇〇〇万円(六九、六〇〇株×二五、〇〇〇円)になってしまう。譲渡代金二〇億円は、一七億円まで値引き要求するヨドバシカメラとの営業譲渡交渉を打ち切ったくらいに、被告人としては、頑強に固執する金額であり、さくらやへ譲渡する金額が、一七億四〇〇〇万円では、ヨドバシカメラの提示金額と、ほぼ同額になってしまう。
被告人は、新宿西口メガネ(店舗の場所的価値)の売却について、契約相手先として、長嶋らが希望するヨドバシカメラとの営業譲渡取引を蹴ってまで、さくらやに取引を乗り換えた意味は、全くないと、直感的に判断したのである。
(2) 譲渡代金二〇億円に、固執する被告人が、結果的に、株式譲渡に関する基本合意書を締結したのは、三菱銀行情報開発部の担当者の重大な関与があったからである。
被告人は、営業譲渡形式から、株式譲渡形式へ変更する理由について、三菱銀行の担当者から、両形式とも、新宿西口メガネの店舗の場所的価値の譲渡という実体は同じであるが、営業譲渡の場合、大家の協立ビル(協立協会)の賃借権譲渡の承諾が取れないリスクがあり、株式譲渡の場合は、右のようなリスクはない旨説明されたのである(被告人第九回公判調書一九丁)。
また、被告人が危惧する受取り金額の違いについては、三菱銀行の担当者は、「営業譲渡のほうが節税できる、実質的に手取りは変わらないはずだ」と、被告人を説得したのである。その根拠として、被告人は、三菱銀行情報開発部の木下次長から、「一五パーセント未満の株式譲渡は非課税になり、節税になる」と言われ、さらに、「中小企業は、普通、家族や友人の名義株として分散されているので、被告人の場合も同じで問題はない、株式の売買のときに名義を分散したのであれば問題になるが、数年前から分散していれば問題にはならない」と言われたのである。この点については、「取引の実例があって節税ができた」などと言われ、節税は大丈夫との念を押され、被告人は、三菱銀行の担当者から、株式譲渡による方法で行うよう説得されたのである(弁四四号証被告人陳述書七六~七七ページ、被告人第九回公判調書二〇~二一丁)。
さらに、右担当者らから、株式の保有者が、法人である場合は、取締役会議事録その他の手続が非常に手間がかかるので、保有者から法人を外してほしいとか、株式保有者を個人にする場合も、すぐに印鑑証明の取れる人にしてほしいと、要請されたのである(前掲調書二二丁)。
(3) 三菱銀行の担当者であった飯柴正美や、木下晴夫は、原審において、右被告人の供述とは全く違う証言をしているが、その大部分は「覚えていない」という証言をするだけで、被告人の右基本合意書締結に至る具体的な供述を覆すに足りるものではない。この点において、重要なことは、飯柴が、昭和六三年当時の株式譲渡に関する税制を知っており、その面での専門家であり、被告人から説明を求められたら説明をしたかも知れない旨証言していることである(第二回公判・飯柴証言一丁)。被告人に、当時、株式譲渡に関する税制の知識がほとんどなかったことは、その以前に、同人の内妻の刀川芳枝に、四万六四〇〇株、長女の松本真砂代に、一万一二〇〇株を裏書譲渡しているような形式をとっていたこと、並びに、裏書の当時に、ヨドバシカメラと株式譲渡ではなく、営業譲渡の交渉をしていたことからも明らかである。
税制の知識がない被告人が、譲渡代金二〇億円が、一七億四〇〇〇万円に減額されても、たまたま名義が分散されていたことによる節税の効果で、実質的に手取り額が同じになるとの理屈は、理解できるはずがないのである。そのような被告人が、営業譲渡から株式譲渡への変更に異議を述べないはずはなく、被告人が説明を求めなくても、さくらやの意を汲んだ飯柴ら三菱銀行の担当者が、進んで税制を説明し、被告人を説得したのは、当然のことなのである。
(4) さらに、さくらや及び三菱銀行側は、どうしても、昭和六三年一一月二二日の当日に、基本合意書を締結させたい事情があった。さくらや及び三菱銀行の担当者は、被告人の当初の説明により、新宿西口メガネの営業譲渡が、ヨドバシカメラとの間で、仮契約の締結など、交渉が進んでいたことを知っていたのであり、さくらやの羽倉社長は「ライバル会社に、この新宿西口メガネ買収の話が知られると、ライバル会社に新宿西口メガネを取られるかもしれないということで、契約の締結を急いでいた」のである(甲一二号飯柴検面調書第七項)。そのために、被告人が、株式譲渡に反対し、ヨドバシカメラなどのライバル会社に、取引を持ち込まないように、譲渡代金の減額に拒否反応を示す被告人に対し、株式譲渡による節税の利点、譲渡代金の実質的手取り額が同じになること、節税の実例、節税の具体的な方法などを説明し、懸命に基本合意書を締結するよう、被告人を説得したことは、けだし当然のことである。さらに、譲渡の実行を早めるために、株式の保有者は、法人ではなく、印鑑証明書がすぐに取れる個人にしてほしいとまで、被告人に要請したのである。
以上の飯柴らの被告人に対する説明・勧めの言葉は、いずれも被告人の供述するところであるが、税制を知らない被告人が、自らの想像でそのような供述をするはずはなく、現に飯柴らから現実の言葉として聞かされたことから、そのような供述をしているもので、被告人の供述の信用性がここでも明らかである。
(5) 昭和六三年一一月二二日午後七時三〇分からの契約交渉において、被告人は、突然、新宿西口メガネの営業譲渡が、考えてもいなかった株式譲渡に変更させられ、前述のように、三菱銀行情報開発部の担当者から、一気呵成に、株式譲渡による節税の利点、譲渡代金の実質的手取り額が同じになること、節税の実例、節税の具体的な方法などの説明を受けたのである。被告人の頭の中が混乱し、どうしたらよいかわからなくなるのは、当然である。
被告人は、短い考慮時間の間で、新宿西口メガネの営業譲渡の仲介を依頼し、信頼している三菱銀行が、自分やトス側に不利になるようなことはしないはずと思い、その担当者が、新宿西口メガネの株式の名義が整理手続のため、当初から分散されていて、譲渡の時点まで、そのままになっていることを前提として、天下の三菱銀行が、節税になると断言するのであれば、大丈夫と判断し、基本合意書の締結に応じたのである(弁四四号証被告人陳述書七八ページ、被告人第九回公判調書二二~二三丁)。
(6) 被告人が、新宿西口メガネの株式譲渡に応じた判断を、分析すれば、次のとおりとなる。
<1> 新宿西口メガネの営業譲渡の譲渡代金については、新宿西口メガネに法人税がかかり、大体譲渡益の二〇パーセントくらいで、トスの新宿西口メガネからの立退料、トスが同社の再建に使った必要費用などを除くと、二億円から三億円くらいの税金になると思っていたこと(弁四四号証被告人陳述書八〇ページ、九八ページ)
<2> 株式譲渡契約にした場合、長嶋ら三名の所有する株式一万四〇〇株の代金二億六〇〇〇万円が差し引かれ、トスの受取り額は、一七億四〇〇〇万円になるが、その一七億四〇〇〇万円が、株式の名義が分散されていた効果による「節税」で非課税になり、その結果、新宿西口メガネの営業譲渡をした場合の税金分と、従業員の株式の差し引かれ分とが、大体見合い、営業譲渡と株式譲渡の場合の実質的手取り額は、同じようになること(弁四四号証被告人陳述書八〇ページ)
<3> 新宿西口メガネの六万六九〇〇株の本件株式の実質的な所有者はトスであり、新宿西口メガネからの立退料や債権の回収ではなく、譲渡代金全額をトスが直接的に使用できること
<4> 三菱銀行の担当者が言う「一五パーセント未満の株式譲渡は非課税」であるならば、トスは、形式的名義人に対する所得税を手当する必要はなく、法人税のみを納税すればよいこと、かつ、形式的な名義人には、一切迷惑をかけることにならないこと(弁四四号証被告人陳述書八〇ページ-被告人は、その点の確認をしている)
<5> 株式譲渡契約の形式によらないと、さくらやは、店舗賃借権の譲渡承認手続上のリスクを負担すること
<6> 以上の点から、営業譲渡と比較しても、実質的な手取り額が同じであるから、当事者双方にメリットがあること
要するに、被告人は、三菱銀行の担当者の説明、説得を受け、短い考慮時間の中で、営業譲渡契約を株式譲渡契約に変更しても、当事者双方にメリットがあって、誰にも迷惑をかけないものと判断したのである(弁四四号証被告人陳述書七九ページ)。
(六) 以上の点からすれば、被告人が、原判決の認定するように、初めから、新宿西口メガネの株式譲渡の取引(名義が分散されているので、最初から「有価証券の他人名義による売買」となる)を、さくらやに対して持ちかけ、その譲渡代金による所得を隠し、脱税をしようと考えていたなど、到底あり得ないことが明らかである。
被告人は、信頼する三菱銀行の担当者から、譲渡代金が減額されても、節税の効果で、トス側が受ける実質的な手取り額は、同じであると思い込んでしまったのであり、従って、被告人は、税金をごまかすとか、脱税をするとかの意識を、全く有していなかったのである。
さらに、被告人に脱税の認識が全くなかったことは、被告人のその後の行動をみても、明らかである。
すなわち、被告人は、本件株式譲渡代金一七億四〇〇〇万円について、「有価証券の他人名義の売買方法」による脱税するための典型的、常套手段である、名義株主があたかも代金を受取ったかのように見せかけるための、当該他人名義の銀行預金口座を開設することもなく、被告人個人名義の普通預金口座(但し、これは前述のように、トスが「松本扱い」勘定を管理するための口座である)に、一旦入金し、そのまま、トスに入金したり、トスの借入金の返済に使っているのである。
こうした行動証拠を合理的に判断する限り、被告人において、本件株式を「他人名義の売買方法」で売却し、その譲渡代金にかかる税金を脱税するなどという認識が一切なかったことは、もはや明らかである。
2、本件株式譲渡に関する株式名簿・取締役会議事録の作成について
(一) 前述したように、本件株式の「他人名義の売買」は、取引を仲介した三菱銀行の担当者が、代金の減額に難色を示す被告人に、株式譲渡契約の締結に応じさせるために行った手段、テクニックだったのである。そうとは知らない被告人は、これを信じ、単純に、実質的株式の所有者であるトスが、譲渡代金全額の一七億四〇〇〇万円を使えるものと思ってしまったのである。
したがって、原判決が認定しているような「有価証券売買を他人名義で行う方法」においても、実際には、脱税する認識の全くない被告人が行ったのは、基本合意書の締結、株式譲渡契約の締結など、契約書面上のことだけである。被告人は、その契約の履行である株券の引渡し、代金の受領などに関し、他人名義の銀行預金口座の開設、譲渡代金の振り込みなど一切行っていないのであり、「他人名義の売買」と言っても、履行行為まで完結したものとはなっていないのである。
すなわち、脱税の認識のない被告人が、他人名義による契約の履行を見せかけ、かつ、典型的、常套的な所得隠しの方法である「他人名義の銀行預金口座」の利用など、考えるはずはないのである。
被告人は、何の疑いを持たず、トスが「松本扱い」として通帳と銀行届出印を管理する、協和銀行赤坂支店、三菱銀行新宿南口支店、三和銀行新都心支店の三つの被告人名義の普通預金に、本件株式の譲渡代金を、一旦入金し、トスに入金したり、トスの借入金の返済に充てたりしたのである。
(二) さらに、名義株の持株構成は、三菱銀行の担当者の飯柴らが調整しており、被告人は、形式的な名義人に対する節税方法については、すべて三菱銀行の担当者らに任せたのである。
(1) 前述のように、被告人は、さくらやとの新宿西口メガネ(店舗の場所的価値)の譲渡について、思いもよらなかった株式譲渡契約の形式で行うことになり、昭和六三年一一月二二日に基本合意書を締結し、同年一二月二一日に全株式の引渡しと代金決済を行うことになった。しかし、被告人が、トスの資金として協和銀行赤坂支店から借入れたインパクトローン五億五〇〇〇万円の同年一一月末日の返済期限が迫ったため、さくらやに対し、新宿西口メガネの株式を担保にして、右返済金の融資を申し出て、同年一一月二八日さくらやから五億円を借りられることになったが、三菱銀行情報開発部の担当者から、トスが返済できないことを考慮して、前記基本合意書に付随して書類を作成することになり、合意書、担保差入書、念書が作成された(弁四四号証被告人陳述書八二ページ、第九回公判調書二七~三〇丁)
(2) 被告人が、右五億円の融資を受けるにあたって、さくらやに持参した新宿西口メガネ株式五万九六〇〇株分の株券は、うち四万六四〇〇株について「刃川芳枝」(実は「刀川芳枝」の間違い)に、うち一万一二〇〇株について「松本真砂代」に裏書譲渡された形式になっており、被告人が、基本合意書締結前に、三菱銀行に提出した株主名簿とは、全く違うものとなっていた。したがって、一一月二八日に作成された担保差入書には、甲一一号証羽倉検面調書の添付資料五にあるような担保株式明細は、添付されていなかったのである。
(3) 三菱銀行の担当者は、株券の裏書表示と、被告人が提出した株主名簿の記載が、異なるため、被告人に対し、後日株主関係を議事録などを調査して調整すると言い、これに対し、被告人は、新宿西口メガネの増資以後、議事録など作ったことはないので、ないものをどう調査するのか不思議な気持となったが、三菱銀行の担当者に株主関係の調査・調整をお願いすることにしたのである(弁四四号証被告人陳述書八三ページ、第九回公判調書三〇丁)。
(三) 飯柴正美ら三菱銀行担当者らによる取締役会議事録の作成
(1) 甲一二号証の飯柴検面調書添付資料一によると、同人は、昭和六三年一二月三日午前一〇時に、新宿西口メガネに行き、「株主推移と真正なる株主を確定するために、同社の取締役会議事録を調査」したことになっている。しかし、飯柴の来社の時点においては、新宿西口メガネには、取締役会議事録(乙二号証添付資料一二、一三、弁三五号証)は、一切存在していなかったのである。右のことは、弁三六号証の麦島司法書士事務所作成の文書リストに記載されている、右新宿西口メガネの取締役会議事録が、昭和六三年一二月三日一四時二三分に、同事務所で作成された旨の記録から、明らかである。
(2) 飯柴は、存在していない取締役会議事録を調査したことになるわけであり、この点に関する飯柴の供述、証言の信用性は失われたものと言わざるを得ない。
被告人は、一二月三日の当日午前一〇時頃に、新宿西口メガネに来社した三菱銀行担当者の飯柴らに対し、トスが三〇〇〇万円を出資して増資した株式について、トス名義にできなかったこと、トスによる長嶋外三名からの株式の一部買取り、昭和六三年一月二九日に退社した相馬富太吉の買取りにつき譲渡承認に関する取締役会議事録がないことを説明し、また、トスの倒産危機で、差押回避のために、五七、八〇〇株の株券を、内妻、長女に裏書きした事情を、さらに、トスが、ジャパンフードサプライズ株式会社(以下「ジャパンフード」という)が、オーストラリアで申請中の漁業権を、ジャパンフードと共同で所有することを目的に、新宿西口メガネの株式の一部と同社の株式五〇パーセントを交換していた事情について話し、これらを、どのように処理すればよいのかと尋ねた(弁四四号証被告人陳述書八五~八七ページ)。
(3) 被告人の、右質問に対する、飯柴ら担当者の回答は、すこぶる明解であった。その回答は、新宿西口メガネの増資後の株式の譲渡関係は、いずれの場合も取締役会の譲渡承認がないので、すべて無効であり、今回、株式譲渡承認の取締役会議事録を、改めて作成し、全部やり直した方がよいというものであった(同前掲八八ページ、第八回公判調書一三丁)。
被告人は、前述したように、形式的名義人による売買は、節税の手段と三菱銀行の担当者から教えられ、かつ、株式保有者は、法人ではなく、印鑑証明書のすぐに取れる個人にしてほしいと要請されていたので、名義人の構成については、自分の娘に代えて、当時トスの取締役であった大藤照明、刀川芳枝、従来からの名義人であった江連ひろ子、諸星登とし、さらに、ジャパンフードとの株式の交換ではなく、同社の中川宏利との株式の交換とわかり、株主として、同人を名義人に加えた。
そして、株式の移動については、飯柴ら担当者が考えて調整することになり、飯柴らは、甲一二号証添付資料七の「株式及び保有株式明細(3)」(但し、標題部分と下部の説明書きのないもの)を作成した(前掲陳述書九〇ページ)。
(4) 飯柴ら担当者は、被告人に対し、右「株式及び保有明細書」を説明し、これに基づいて取締役会議事録を作成するように指示した。被告人は、株式構成の確定の日付を、刀川芳枝らに裏書きした昭和六三年六月二〇日にしようと、その旨のメモをとったが、(甲二一号証長嶋正男検面調書添付資料4)、飯柴ら担当者は、その日付では、今回のさくらやへの譲渡から近すぎて問題になる可能性があると指摘し、同担当者らは、増資後のすぐの昭和六一年九月三〇日くらいがよいと提案した。ところが、その場にいた長嶋正男は、その日付では、相馬富太吉がまだ退社していないと指摘し、譲渡承認の取締役会議事録の作成は、昭和六一年九月三〇日と、相馬の退社後の昭和六三年三月二〇日の二回に分けることになった。被告人は、飯柴ら担当者から、取締役会議事録案のコピーを受領して、麦島司法書士に届け、急いで議事録を作成してもらうよう依頼したのである(同前掲九一ページ)。
(5) 以上のように、三菱銀行の飯柴は、株式の移動を考えた右取締役会議事録の実質的な作成者なのである。三菱銀行の担当者らに与えられた使命は、前述したように、さくらやに対する本件株式譲渡の早期の完了であり、また、「一五パーセント未満の株式譲渡は非課税となる」と、被告人に対し説明、説得してしまった以上、株式の移動を調整し、各株主の保有する株式が一五パーセント(一万二〇〇〇株)未満になるように、調整したのである。
六、さくらやへの株式譲渡に関する事項のまとめ
1、以上、論述したように、さくらやへの本件株式の譲渡、すなわち、「本件株式の他人名義による売買」は、被告人の提案し、取引を持ちかけたものではないことは明白であり、三菱銀行情報開発部の担当者が、さくらや側の立場に立って、被告人に説明、説得し、おまけに、株式の移動の検討して、各名義人の株式保有率が一五パーセント未満になるよう調整し、新宿西口メガネの取締役会議事録の案まで作成してくれたのである。
2、被告人の認識では、本件株式は、実質的にトスが所有するもので、実際にも、被告人名義の普通預金口座を通して、トスに全額入金しているのであり、被告人本人に所得税が課税されるとは、夢にも思っていなかったのである。ましてや、「本件株式の他人名義による売買」は、仲介を依頼し、信頼していた三菱銀行情報開発部の担当者が提案し、被告人に説明、説得をしたものであり、新宿西口メガネの取締役会議事録の案まで作成してくれたのである。
それでも、当時の被告人に、被告人自身の脱税の意識を持てというのは、誰がみても、不可能なことである。
3、原判決は、原審において、提出された証拠関係(特に、弁三六号証は三菱銀行の担当者の関与を証明する重要なもの)、被告人及び関係者の供述(特に、被告人が新宿西口メガネの営業譲渡、及び代金二〇億円に固執していたことに関係者が認めているところが重要である)からして、右のように、被告人に脱税の故意はないことは、明白であるにもかかわらず、当初から、計画的、悪質な確定的故意のある脱税事案として認定してしまったのである。原判決は、明らかに、証拠の採否を誤り、重大な事実誤認しており、この点だけでも破棄を免れるものではない。
七、被告人の自白の信用性について
1、原判決は、被告人の自白調書の信用性のところで、被告人が、国税局の調査段階、検察官の取調段階においても、本件株式が実質的にはトスの所有である旨の主張をしていたことを認めず、第一回公判で、公訴事実を認めながら、第五回公判に至って、本件株式譲渡益の帰属を争い始めるなど、右主張は不自然かつ不合理な点が多く、到底信用できないと断定し、被告人の主張の中心基盤であり、且つ、右帰属主体の誤認の前提である「本件株式は実質的トスの所有」という被告人が一貫して主張している事実を、全く否定し去っている。
原判決の右認定は、全く事実を誤認したものであり、到底認めることはできない。なぜならば、被告人は、本件株式の譲渡について、何らの利得もしておらず、譲渡代金全額をトスに入金しているのであり、被告人が国税局の調査段階、検察官の取調段階で、右主張をしないで、自分が一銭も費消していない所得や利得を前提する脱税を、何らの反論なしに認めることは全く考えられないからである。
2、原判決は、「被告人の捜査段階では、本件株式が自己に帰属し、その譲渡益も自己の所得であることを認めていたのであり、被告人の供述内容は、客観的証拠から認められる事実あるいは関係人の供述内容ともよく符合し、不自然、不合理な点は認められず、十分に信用することができる」旨認定している。
しかし、第一に、原判決の指摘する「客観的証拠」というのは、本件株式譲渡に関する基本合意書、譲渡契約書、取締役会議事録など、その他譲渡に関連する文書であるが、前述したように、それらの文書は、節税になるからと「本件株式の他人名義の売買」を勧める三菱銀行情報開発部の担当者の作成にかかるものであり、被告人自身の作成によるものではない。被告人は、本件株式譲渡に関しての書類が存在することから、検察官から厳しく追及を受けたのであり、被告人がいくら、本件株式がトスの所有するものと主張しても、譲渡関係書類からは、トスの名義をうかがうことができず、被告人は、後に述べるように、さまざまな状況から、譲渡関係書類に沿う供述をするまで、追い込まれてしまったのであり、被告人の捜査段階の供述が、譲渡関係書類などの客観的証拠に符合するのは、右のような事情に基づくのである。
第二に、関係人の供述というのは、本件株式の譲渡先であるさくらやの羽倉社長、三菱銀行情報開発部の担当者飯柴正美・木下晴夫、ヨドバシカメラの藤沢社長、それに新宿西口メガネの幹部社員であった長嶋正男、斎藤明、金原明弘などの供述であるが、まず、羽倉社長の取引の目的は、新宿西口メガネの店舗権利の取得であり、その方法も三菱銀行情報開発部に任せたのであり、本件株式の入手先が、被告人でも、トスでも、要は確実に取得できればよいのであり、本件株式の入手先・所有者が誰であるかに関心がなく、従って譲渡関係書類に沿う供述になるであろうことは当然である。三菱銀行の飯柴正美や木下晴夫は、前述したように、被告人に対し、新宿西口メガネの営業譲渡ではなく、株式譲渡のほうが節税になってかえって有利であると、積極的に「本件株式の他人名義の売買」を勧め、更に、飯柴は、新宿西口メガネの株式譲渡承認の取締役会議事録の案まで作成した同銀行情報開発部の担当者であり、本件脱税事件が摘発された段階で、脱税に荷担(教唆ないし幇助)したような、積極的に「本件株式の他人名義の売買」を勧めたなどと供述はできないのであり、これまた、譲渡関係書類に沿う供述になるのは当然である。また、ヨドバシカメラの藤沢社長も、ヨドバシカメラに不利になるようなことを一切伏せているし、新宿西口メガネの営業譲渡の取引の第二回目の交渉が、同社の株式譲渡であるかのように事実に反する誤った供述をし、それに続くさくらやとの取引が、株式譲渡であるような印象を与える供述までしている。更に、長嶋正男は、他の斎藤、金原の両名とともに、被告人に対し、さくらやに対する本件株式の譲渡に反対し、ヨドバシカメラに本件株式を譲渡するように勧めたものでありながら、さくらやとの民事事件の係属中に、秘密裏に、自己の株式を非常な高値で売却し、結果的に、被告人を裏切り敵対した人間であり、検察官のいう被告人に不利な事情を、積極的に訂正する義理も立場もなかったのである。
したがって、原判決が認定する「被告人の供述が、客観的証拠あるいは関係人の供述によく符合する」といっても、いずれの供述も、本件株式の譲渡がどのようにして「他人名義」でなされたかという、当時の状況、経緯、実態を全く除外してしまい、譲渡関係書類のみから推認される事項、すなわち、被告人が本件株式を所有する前提での供述になっているのである。本件株式の譲渡が、「他人名義」でなされた理由、状況、経緯、実態をつぶさに検討すれば、譲渡関係書類、並びに、それに基づく関係人の供述、それに符合させられた被告人の供述が、いかに真実と合致しないかが明らかになるのである。
3、弁護人は、新宿西口メガネの本件株式の帰属主体は、トスであると主張し、論証してきたのであるが、さらに、本件株式の「他人名義による売買」は、新宿西口メガネの営業譲渡形式を指定し、代金二〇億円の支払を要求する被告人に対し、三菱銀行情報開発部の担当者が、株式譲渡のほうが節税になって有利であると積極的に勧め、担当者の一人である飯柴正美が、新宿西口メガネの取締役会議事録の案まで作成してくれた実態であることを論証してきた。
4、右のような実態のなかで、被告人の自白調書の信用性が崩れたことは、明らかである。
しかし、被告人が、本件株式の譲渡関係書類に沿う供述をしたのは、どういう経過であったのかは、後に述べる「法律の錯誤」と重要な関連があるので、以下、詳述する。
(一) 被告人は、平成三年九月三日に、国税局の査察を受け、所得税法違反として取り調べを受けたのであるが、被告人の「本件株式はトスが所有していたもの」との主張を何度も行ったが、取調係官からは、「トスが実質的な株主であると何度言っても、それは関係ない。株式名義人が実際の株主であることを証明しない限り、あんたの脱税は明らかであり、法的に絶対に争えないので、いいかげんに脱税を認めろ」などと言われ、全く受け入れらず、さらに、被告人に、トスが株主とこだわるならば、本件株式代金をトスに贈与したとして、トスに贈与税を課したうえで、被告人を脱税で告発するとまで言われたのである。そのため、被告人は、告発はしないという取調係官の言葉を信じ、やむを得ず、本件株式代金が被告人の所得になるものとする修正申告に応じた(弁五〇号証被告人陳述書一二~一五ページ)。この事情は極めて具体的であり、現にそのような言われ方をされた経験がないと供述できない内容というべく、その信用性は高いものがある。
(二) それにもかかわらず、被告人は、東京地検に脱税容疑で告発されてしまったのである。そのため、被告人の対外的信用は、一挙に低下し、再建途上のトスは、平成四年八月に不渡りを出し、事実上の倒産をした。ところが、告発後一年半くらい経過しても、何の事態も起こらなかったことから、被告人は、東京地検の調べで、自己の主張が正しいものと判明したので、告発は沙汰やみになったものと思い始めた。しかし、被告人は平成五年一一月に東京地検からの呼出しを受け、そこから、国税局取調係官の「株式名義人が実際の株主であることを証明しない限り、脱税は明らか」の言葉が、頭にこびりつき、日々悩むことになった(同前掲一九、二〇ページ)。その影響が、地検の初期の取調のときの被告人の供述に反映したのである。
(三) 原判決は、「国税局による調査の段階から本件株式は、実質的には、トスの所有であると主張し、検察官の取調の際も同様であった旨の、被告人の供述について、被告人の検察官調書からは、被告人がそのような供述をした形跡は一切窺えず、むしろ、被告人は、検察官による取調の当初の段階では、被告人以外の名義になっている株式は、実質的にもこれら名義人の株式であって、自分の株式ではない旨の弁解をしていたが、その後、捜査の進展で右主張が嘘であると述べていた事実が認められる」旨認定している。しかし、前述したように、被告人は、東京地検による取調の開始が、告発から一年半経過したことから、その期間において、本件株式はトスが所有するものとの国税局に対する主張を裏づける証拠が出てきたから、告発は不発に終ったと安堵感があった反面、取調の開始した頃は、右安堵感に対する強い反動で、被告人が信じ、主張してきた「トスが株主」が、もはやどうにもならないという悲観論に支配され、自分が無罪となるためには、「株式名義人が実際の株主であることを証明しない限り、脱税は明らか」という国税局の係官の言葉に、被告人は大いに悩み、それが、検察官の当初の取調に強く影響したのである。
5、自白調書へ被告人が署名指印した経緯について
(一) 被告人は、平成六年一月一二日に逮捕されるとは思わず、その日の午後一時に予定していた、原審弁護人との打ち合わせを行うことができなくなった。原審弁護人が、被告人との極めて短い接見時間の中で、被告人の訴え、主張を聞くことができた内容は、<1>本件株式譲渡の実質は、新宿西口メガネの営業権の譲渡であると主張しても、検察官は認めない、<2>トスは、新宿西口メガネの賃借部分をまた借りしていて、立ち退いたのに、立退料を経費として認めてくれない、<3>自分には一銭も入っていないのに、なぜ脱税になるのか、わからない、トスに入金しているので調査を求めても、トスの伝票や帳簿では被告人からトスへの貸付金になっている、その伝票や帳簿を見せてくれない、<4>本件株式について、トスが株主だと言っても、そんな証拠はないと言うので、被告人が調査したいと言うと、見せてくれない、などというものであった(弁論要旨一一~一三ページ)。原審弁護人は、勿論、「自分の意に反することが書いてある調書には、サインをするな、一旦サインをすると、それを公判で覆すことは並み大抵のことではない」などと、被告人に対してアドバイスした。
(二) しかし、原審弁護人が、大変悔やんでいることであるが、原審弁護人が起訴日直近の四日間、接見に行かなかったうちに、被告人は、起訴前日の平成六年一月三一日に、それまで、署名指印を拒否していた検面調書五、六通を一挙に署名指印してしまったのである。
(1) 被告人は、検察官の厳しい取調の中でも
<1> 新宿西口メガネの六万株の増資は、トスが出資したもので被告人がトスから借りて出資したものではないこと
<2> 長嶋外三名の株式は、トスが買い戻したこと
<3> 本件株式の譲渡は、当初ヨドバシカメラと同様の新宿西口メガネの営業譲渡であったが、三菱銀行の担当者の指導により、株式譲渡形式になったが、実体は、新宿西口メガネの営業譲渡であること
<4> 新宿西口メガネの株式譲渡関係の議事録は、三菱銀行の担当者の指導で作成されたこと
<5> 長嶋ら従業員に、本件株式のさくらやへの譲渡を反対され、本件株式の譲渡契約の解消に努力し、さくらやに支払うペナルティー資金をトスで用意し、その後、取り戻し後に、譲渡するヨドバシカメラがペナルティー資金を用意したことから、さくらやにはペナルティーつき譲渡代金が返還されることになっていたので、被告人が平成元年三月に税務申告するとは夢にも思っていなかったこと、有価証券取引税も同様であったこと
<6> 本件株式の代金は、トスの資金として入金されており、被告人自身には入っていないこと、実体的には、本件株式はトスのものであること
<8> さくらやからの本件株式の取り戻しは、平成二年七月の民事事件の和解により不可能となったこと、そのために、トスに入金された本件株式の代金の修正することになったが、既に決算を三期経ているいるので、どう修正、どう申告してよいのかわからなかったこと
などを主張していた(弁五〇証被告人陳述書二七~三〇ページ)。
(2) 右被告人の主張点に対する取調検察官の回答は、
<1> トスが本件株式の実質的は株主だといっても、契約の当事者にも、名義人にもなっていない、法的には被告人のものだ、トスの名で契約すれば、脱税にはならなかったのであり、そうしなかったのは被告人のミスである。
<2> 本件株式の譲渡の実体が、新宿西口メガネの営業譲渡であることはわかるが、税法は形式論なので、代金は被告人の収入になる。
<3> 本件株式の代金が、ほとんどトスに入金されていることもわかっている、協和銀行のインパクローンも、被告人がトスのために借りたこともわかっている。しかし、形式的には被告人個人で借りているので、トスとは関係ない。
<4> 本件株式の譲渡契約に、三菱銀行の指導があったことは、わかっている。三菱銀行の担当者の話や麦島司法書士の取締役会議事録の作成時期を調べたところ、議事録の作成に三菱銀行の指導があったことも間違いない。しかし、被告人が、それにしたがって契約したのだから、その責任は被告人にある。
<5> 被告人が、さくらやとの契約を解消する努力をしていたこと、ペナルティー資金をトスが用意したこと、ヨドバシカメラと本件株式譲渡の契約をしたことはわかっているが、それは、株式の二重譲渡となり、被告人にはヨドバシカメラに対する詐欺罪が成立し、情状が悪くなるので、一切調書には記載しない。
<6> 被告人は、本件株式の代金受取りについても、全く工作をせず、堂々と受け取って、そのまま、トスに入金し、自己の遊興費に使われたわけでもないので、被告人に脱税の認識がないこともわかるが、被告人が税金が課税されないと思っても、実際には税法上課税され、それを知らないといっても、「法律の不知は罰すると刑法で決まっている」ので、あとは情状で行くしかない。
<7> こちらは、法律のプロであり、検察庁と国税局で確認をしているのだから、トスが本件株式の実質的株主であるというのは、被告人の思い込み以外の何物でない。
などというものであった(弁五〇号証被告人陳述書三二~三五ページ)。
そして、取調検察官は、被告人の右主張を調書の中にひとことも取り上げようとせず、国税局の調書をもとに、ワープロであらかじめ作成してくる調書への署名指印を求めたのである。なお、弁三六号証の麦島司法書士事務所作成の「文書リスト」は、前記<4>のとおり、検察官が、これも調査したと言ったことから、被告人が保釈後、これを思い出して、入手することができたのである(同前掲三四ページ)。
(3) 被告人は、検察官が被告人の主張したことを、ほとんど事実であると認めながら、他方で、トスの名で契約しなかったのは、被告人のミスであり、三菱銀行の指導に従った責任は被告人にあり、脱税の意識がなかったのは認めるものの、「法律の不知は罰する」という刑法の決りで、被告人の脱税は明らかであるとする論法が、全く理解できなかった。被告人の認識では、本件株式はトスのものであり、自分は一銭も使っていないので、自分は無罪であると思っていたのであり、検察官が被告人の主張する事実関係を認めておきながら、被告人の判断ミス、三菱銀行の指導に従った責任論、並びに「法律の不知」で、罪に問われることになるとの論法は、なんとしても納得のしがたいものであった(同前掲三五ページ)。
そのため、被告人は、弁護人と事実関係などを確認するまで待ってほしいと、調書への署名指印を拒否していた(同前掲三一ページ)。
しかし、間の悪いことに、検察官の言うことを確認しようとしても、弁護人との接見ができず、被告人は、どうすることもできなかった。
(4) 被告人は、起訴日の前日までの間に、検察官から、無罪を争うことになれば、五、六年の長期勾留になるし、その間、会社はもとより、家庭も崩壊し、一家離散になること、商人として再起不能になること、罪を認めれば保釈になること、運がよければ執行猶予が付くかもしれないこと、刑期も一年か一年半くらいで、五、六年も勾留されるのと、どちらが得かよく考えろなどと、何度も言われ、被告人は、無罪を争うと、五、六年も勾留されるとの言葉に大変なショックを受けた。そうなると、被告人の「再起不能」は確実だったからであった。しかし、検察官の、無罪を争えば長期拘留になってしまうとの話が本当であるか、被告人には、弁護人の接見がないので、確認するすべがなく、どう判断したらよいのか、わからなくなってしまった。
そのため、被告人は、一番重要な時期に単独での判断をしなくてはならず、長期勾留に耐えつつ無罪を求めるか、有罪となっても短い刑期で再起をはかるか、二つに一つのどちらも非常につらい選択しかない、全く進退両難極まった極限の心理状態に追い込まれたのである。
そして、被告人は、短い刑期で再起をはかるしかないと判断し、起訴日前日の平成六年一月三一日に、署名指印を拒否していた調書五、六通に、すべて署名指印してしまったのである(弁五〇号証被告人陳述書三八ページ)。
(三) 原判決は、右被告人の自白調書への署名指印をした経緯の供述について、「被告人は捜査段階から弁護人を選任し、接見の際に一定の助言を受けていたのであるから、弁護人が接見に来なかった間に、検察官に右のようなことを言われたというだけでの理由で、それまで署名を拒否していた意に沿わない調書に、一挙署名してしまったというのは、不合理かつ不可解な行動であってにわかに信用できない」旨認定している。
しかし、原判決は、被告人が、拘置所で拘禁され、情報の隔絶されたなかでの心理状態を、全く理解していないと言わざるを得ない。被告人は、前述のように、弁護人とも接見できないため、検察官のいうことが確認できず、無罪を争って長期勾留に耐えるか、有罪を認めて短い刑期で再起をはかるか、といういずれも非常につらい二つに一つの選択を迫られたのであり、被告人にとっては、長期勾留は完全に再起不能であり、少しでも可能性があるのが、短い刑期での再起しかないと、ぎりぎりの判断をしたのである。無罪であるならば、罪を認めるはずはないし、検察官の利益誘導的な話で自白したのは不合理かつ不可解な行動という原判決の論法は、拘禁状態で外部との接触を全く断たれた人間に通用するものではない。原判決の論法では、冤罪事件など発生しないはずとなる。
(四) また、原判決は、「国税局の各調査書によれば、その調査段階においても、被告人は、本件株式譲渡益が自己に帰属することを認めていたと窺え、右調査の段階から所得の帰属を争っていたとする被告人の公判廷供述は信用できない」旨認定している。
しかし、前述したように、被告人は、本件株式はトスが所有していたものである旨の主張を何度もしたが、担当官が全くこれをとりあげることをせず、したがって、国税局の各調査書に、本件株式はトスが所有している旨の被告人の主張が、記載されるに至らなかったのは当然である。また、原判決は、本件株式の譲渡代金が、トスに入金され、本件株式譲渡の受益者は実質的にトスであるように見える旨述べているが(原判決一九丁)、その指摘どおり、本件株式譲渡代金について、すべてをトスに入金し、自己のために一切費消していない被告人が、国税局の担当官や検察官に対し、「本件株式の実質的な所有者はトスである」と主張しなかったはずはないのである。
さらに、原判決は、被告人が第一回公判において、本件公訴事実を認めながら、第五回公判に至って、本件株式譲渡益の帰属を争い始めるなどは、不自然かつ不合理な点が多く、到底信用できないと認定している。しかし、第五回公判に至って、被告人が本件株式の譲渡益の帰属を争うことができたのは、被告人側が、弁一二号証の、新宿西口メガネの増資手続について、増資資金をトスが出資したとの証拠を、初めて入手できたからであり、それまで、そうした証拠のすべてを捜査当局に握られ、自由なる反証の許されなかった被告人の態度変更を非難することは、真相究明をも責務とする裁判所の態度としては、許されないものがあると弁護人は考える。
(五) 以上のように、本件株式譲渡、すなわち、他人名義による株式の売買は、前記3のような実態があったのであり、被告人の公判廷における認否及び主張の変更は、何ら不自然かつ不合理なものではなく、右実態に反する被告人の検面調書の信用性はないと言わざるを得ない。
八、錯誤の態様について
1、原判決の被告人の自白調書の信用性に関する認定は、本件株式の「他人名義による売買」がなされた理由、状況、経緯、実態すなわち、前記四、五で詳述したとおり、ヨドバシカメラとの営業譲渡の交渉の実態、さくらやとの取引が、突然、営業譲渡形式から株式譲渡形式に変更された事情、被告人に株式譲渡契約形式を認めさせるための三菱銀行情報開発部の強い関与があったことなどを、全く無視したものであることは、明らかである。
したがって、本件株式譲渡の実態からして、被告人が、国税局の調査段階、検察官の取調段階において、「本件株式は実質的にトスの所有」という主張をしなかったはずはないのであり、帰属主体の誤認の前提である右主張を、被告人が一貫して行っていたことは、明らかに認められる事実なのである。
被告人が、本件株式を実質的にトスの所有であると信じ、誤認したことには、前述のとおり、相当性があり、帰属主体の誤認という「事実の錯誤」により、被告人にかかる所得税が課税されないと思ったことで、被告人には、本件脱税の故意を欠くものと言わざるを得ない。
2、被告人が検察官から指摘された「法律の錯誤」について
(一) 被告人は、勾留期限の差し迫った検察官の取調段階で、検察官から、何回となく、被告人に税制の知識ないことから、被告人が税金が課税されないと思っても、実際には税法上課税され、それを知らないといっても、「法律の不知は罰すると刑法で決まっている」と、法律の錯誤を言われていたのである(前記七、4、(二)、(2))。
原判決は、検察官が、被告人に対して言った「法律の錯誤」については、一顧だにしていないが、被告人が、取調段階で、三菱銀行の担当者の指導による本件株式譲渡の実態、代金を自己のために使用せず、全額トスに入金したことなどを主張し、脱税の犯意を認めない以上、検察官も、これを論破、説得するなどの対応をしたであろうことは十分に推認できる。
(二) 検察官の「法律の錯誤」の趣旨は、被告人が三菱銀行の担当者からの説明、説得を受けて「株式保有率一五パーセント未満の株式の譲渡は非課税」という税制を、「被告人が実質的に所有する本件株式」について、たまたま、名義が分散されているので、この場合にも、右非課税の要件に該当し、適用できると誤信したというものであり、いわゆる「当てはめの錯誤」と思われる。
しかし、右の「法律の錯誤」の前提としては、「本件株式は実質的に被告人の所有する」ことであるが、被告人は、「本件株式は実質的にトスの所有する」ものと誤信、誤認しているのであり、その前提事実が異なっており、いわゆる「当てはめの錯誤」は成立しないと言わざるを得ない。
本件株式の譲渡契約上の、被告人の認識には、本件株式は実質的にトスが所有するものとの、帰属主体の誤信・誤認が先ずあり、三菱銀行の担当者が「一五パーセント未満の株式譲渡は非課税」と示唆し、営業譲渡ではなく株式譲渡に変更することの説得を受け、被告人は、たまたま、名義が分散されていることから、形式的名義人による売買を行っても、トスは右名義人の所得税を手当することなく、本件株式の譲渡代金全額をトスで使用できると判断したのである。すなわち、被告人は、右非課税要件の適用については、実質的な所有者であるトスが、本件株式の譲渡代金の中から、形式的名義人の所得税を用意する必要性はないと判断したに過ぎず、右非課税要件を適用することによって、「被告人に課税される所得税」を支払う必要性がないと判断したわけではないのである。
したがって、被告人に、非課税要件の適用について、誤認や誤信があったとしても、その前提事実たる本件株式の帰属主体に誤認、誤信がある以上、本件脱税事案は、被告人において「事実の錯誤」が存在するのであり、「法律の錯誤」が存在するのではないのである。
九、被告人が「脱税の故意・犯意」を欠いていることの結論
1、以上のとおり、被告人は「本件株式の実質的所有者はトスである」との認識を、国税局、検察官の段階でも一貫して主張しており、その認識の基礎なる事実関係は前記二のとおりであり、また、本件株式譲渡契約の締結の実態は、前記四、五のとおりであり、これを否定する方向の被告人の自白調書に信用性がないのは、前記七のとおりである。さらに、検察官が被告人に指摘した「法律の錯誤」なる論法は、前記八のとおり成立し得ないものである。
2、したがって、本件株式の帰属主体本件株式の帰属主体が、法律解釈的に見て、被告人であるとしても、被告人が帰属主体をトスであると誤信、誤認したことに相当性があり、被告人の右「事実の錯誤」により、被告人には自己の所得税に関する本件脱税事案の故意を全く欠くに至ったのである。
だからこそ、被告人は、何らの疑問なく、トスの「松本扱い」として管理する被告人名義の普通預金に振り込み、そして、本件株式の代金全額をトスに入金したのであり、所得隠しの典型的、常套手段である「他人名義の預金口座の開設、入金」という方法を実行しなかったのであり、むしろ、その手段を思いつくはずはなかったのである。一七億四〇〇〇万円の所得隠しを行うにしては、被告人の行為は、何とも呆れた、拙劣、無計画、無配慮、杜撰な行為というべきであり、被告人の脱税行為にひそむ不自然さは、正に、被告人自身が、本件株式の帰属主体がトスであると認識していたことを如実に物語るのである。以上、被告人には、脱税の故意がないのである。
第四、予備的主張である「法律の錯誤」について
一、「法律の錯誤」について
1、仮に、弁護人が主張する前記「事実の錯誤」が認められないとしても、被告人には、「法律の錯誤」が存在し、それがために違法性の意識を欠いてしまったことは明らかである。
前記予備的主張は、被告人の「本件株式の実質的所有者はトス」であるとの認識について、その前提に、法律的判断の誤認があったこと、あるいは、事実誤認に相当性がないことからして、「事実の錯誤」が否定された場合における主張である。この場合においても、本件株式譲渡においては、前記第三、五で詳述したとおり、三菱銀行の担当者の「一五パーセント未満の株式譲渡は非課税」という税制の説明、新宿西口メガネの営業譲渡から本件株式の株式譲渡への、契約形式の変更の説得があったことは明らかであり、「本件株式の他人名義の売買」に対する非課税要件の適用について、被告人に誤信、誤認があったこと自体が、否定されるものではない。
2、被告人は、三菱銀行の担当者による右非課税要件の説明、説得により、本件株式譲渡契約に右非課税要件が適用され、合法的な節税になるものと誤信、誤認したもので、さらに、三菱銀行の飯柴正美が、新宿西口メガネの株式譲渡承認に関する取締役会議事録の案を作成するなどの右誤信、誤認を深めた事情、被告人が三菱銀行に対し新宿西口メガネの営業譲渡の仲介を依頼し、三菱銀行の担当者を信頼していたことなどの事情が、それぞれ重なり、被告人の誤信、誤認はますます深まったものであり、被告人が右誤信、誤認に至った経緯には重大な過失はなく、刑法第三八条第三項但書が適用され、その刑は減刑されるべきである。
二、年度帰属の意識について(いわゆる「期ずれ」について)
1、年度帰属の意識についても、前提たる事実の錯誤か、法律的な判断の錯誤かになると思われるが、被告人は、前述のように、それが、誤信、誤認かは別として、本件株式の帰属主体がトスであると認識していたのであって、本件株式譲渡に関する被告人の所得税についての年度帰属を考える余地はない。被告人及び原審弁護人が主張している、さくらやとの譲渡契約の解消交渉の事実関係は、トスの法人税の年度帰属に関することである。
すなわち、トスの法人税の年度帰属が問題となったのは、さくらやとの本件株式譲渡契約につき、長嶋ら三名の取締役に反対され、同人らが指定する譲渡先のヨドバシカメラが、右譲渡契約の解消に、必要な資金を手当することになったため、さくらやとの契約解消を交渉する上において、トスに入金してしまった本件株式の譲渡代金をどのように処理するかが問題となり、トスの法人税処理について「期ずれ」が生じたのである。
2、しかるに、原判決は、原審弁護人の主張を「さくらやとの契約は、いずれ解約されているものと被告人は考えており、その譲渡益が本年度に帰属するとは認識していなかった」旨の主張と捉え、続けて「被告人は、同様の主張を捜査段階においてもしていた」とし、右弁護人の主張に対し、「被告人が公判廷において、本件株式譲渡益についてはトスの所得として納税している供述と、トスが個人会社であったことから、被告人が本件株式譲渡益が昭和六三年分に帰属するという認識を持っていたことを自認したもの」と、被告人の所得を前提とした年度帰属の意識を認定している(原判決二三丁)。原審弁護人は「さくらやとの本件株式の譲渡解消の交渉の経過により、被告人には、本件株式の代金一七億四〇〇〇万円は、さくらやに返還すべき性質の金であり、これが、昭和六三年における被告人個人の所得であるとの認識は全くなく、したがって、脱税の犯意もなかった」旨主張しているが(弁論要旨六九ページ)。この主張の意味は、もし、本件株式の譲渡代金が被告人に帰属するとしても、という仮定的な主張である。また、原判決の指摘する被告人の捜査段階の供述は、被告人が、国税局の査察の当日に「新宿西口メガネの件は、会社(トス)のもので、去年まで裁判で争っていたので申告時期が、いつなのかわからなくなってしまった」と、とっさに答えたにもかかわらず(弁五〇号証被告人陳述書三ページ)、その後、本件株式の実質的所有者がトスであると、必至に弁明を尽すも、国税局も、検察官も、一切これを認めなかったため、被告人に本件株式の譲渡益が帰属するとの前提で、トスの法人税の年度帰属の問題が、被告人の所得に関する年度帰属への供述となってしまったのである。
しかし、原審における弁護人側の主張の大前提は、本件株式の帰属主体はトスであり、被告人の認識は、あくまで、本件株式譲渡益のトスへの帰属であることから、被告人自身の所得に関する年度意識は生じるはずはなく、被告人の所得を前提とする右仮定的主張は、あまり意味のない主張となっている。
3、被告人が、さくらやとの譲渡契約の解消交渉中に認識していたのは、トスに入金した本件株式の譲渡代金をどのように処理するかであった。(第一〇回・城証言一四丁)。城義紀は、原審において、さくらやの本件株式の譲渡代金は、契約解消の交渉をしているので、トスに株式譲渡金との名目での入金ができず、本来は、預かり金となるはずであったが、本件株式譲渡の実体は、新宿西口メガネの営業譲渡であり、譲渡先が、さくらや、ヨドバシカメラのどちらにになろうが、トスは、少なくとも新宿西口メガネの賃借物件からの立退料を取得できるので、その分をトスへの収入にしようと考えた旨証言している。したがって、城及び被告人は、本件株式の譲渡益については、間違いなく、トスの帰属と考えていたばかりでなく、さくらやとの譲渡解消交渉から、昭和六三年度の決算期(平成元年一月三一日)では、譲渡代金全額をトスの収入にできないことから、右の経理処理を考えたわけで、その後、本件株式の譲渡契約の解消、取り戻し問題は、さくらやとの民事事件に発展したため、トスに帰属した本件株式の譲渡益の経理処理が、平成元年、平成二年、平成三年の三期にわたって処理されたのである第一一回・田端証言一〇丁)。
したがって、被告人は、本件株式の譲渡代金一七億四〇〇〇万円が、契約解消によって、さくらやに返還される性質の金員だから、被告人自身の昭和六三年度の所得とは認識できなかったのではなく、本件株式の譲渡益は、トスに帰属するものと認識しているので、トスに関する本件株式の譲渡益の年度意識はあるものの、被告人の所得に関しては、そもそも被告人の所得と考えるはずはなく、年度意識が生じる事実関係は存在しないのである。
すなわち、年度意識の関する原審弁護人の主張、それに対する原判決の認定は、そもそも、被告人にそのような意識が生じる事実関係がないので、仮定的主張としても、意味はないのである。
4、よって、当審の弁護人は、被告人の所得を前提とする年度意識の有無、いわゆる「期ずれ」に関する仮定的な主張はしない。
ただし、被告人の公判廷の供述の信用性を補強するために、原判決の認定する、さくらやとの本件株式の譲渡契約の解消交渉については、次のとおり反論し、認定批判をする。
(一) 原判決は、前提たる事実認定において「被告人は、さくらやから本件株式を取り戻すため、本件株式譲渡契約の合意解除を申し入れる一方、ヨドバシカメラに対し、さくらやへのペナルティーを上乗せした代金で本件株式を買い取るように交渉した」旨認定しているが(原判決七丁)、さくらやへの本件株式譲渡契約の合意解除の申し入れは、右譲渡に反対する長嶋外三名の取締役が、ヨドバシカメラへの譲渡を希望し、ヨドバシカメラが、そのためにペナルティー資金までも用意するとして、被告人が行ったものであり、被告人の主導によって、合意解除の申し入れ、ヨドバシカメラへの買取交渉を行ったものではない(弁四四号証被告人陳述書一〇三~一〇四ページ、同第九回公判調書)。ヨドバシカメラは、さくらやが、同社の本拠である本店の隣に進出することを阻止するために、長嶋らを通じて、被告人に、さくらやへの本件株式の譲渡を止めてもらうよう要請してきたのであり、被告人の主導した取引では絶対にない。
(二) また、原判決は、年度帰属の認定のところで、さくらやとの本件株式の譲渡契約の解消交渉について、「本件所得の申告期である平成元年三月の時点で、さくらやが本件株式を手放す客観的可能性はほとんどない上、ヨドバシカメラとの話し合いも具体的に進展していた事情は窺えない」とし、さらに、「本件株式売却代金のほとんどすべてを、受領後まもなくトスの借入金返済等に費消してしまっており、被告人自身、本件譲渡契約が解約されることを予想していたとは認められない」旨認定している。しかし、さくらや及び三菱銀行の関係者の認識、さくらやの対内的な意思は別としても、被告人の認識は、交渉を通じて、さくらやが、合意解除に応じるような意向を示していると思っており、そのために、トスは、ペナルティー資金として八億円を用意していたのである(弁一七号証通知預金通帳)。また、ヨドバシカメラとの間で、さくらやから本件株式を取り戻すことを条件として、本件株式をヨドバシカメラの子会社の株式会社プロハンに対し、譲渡する旨の契約を締結し、さくらやに対するペナルティーに充当すべき資金として、金八億一〇〇〇万円が、同社の指示により開設した第一勧業銀行新宿支店の被告人名義の口座に入金されたのであり(弁一六号証)、被告人とヨドバシカメラとの間では、さくらやの合意解除の承諾があれば、右プロハンへの譲渡代金によって、ペナルティーの支払い及び一七億四〇〇〇万円の返還に、いつでも応じられる態勢を整えていたのである。
したがって、本件株式のさくらやへの売却代金は、そのほとんどすべてが、トスに入金され、トスが費消したのであるが、ヨドバシカメラの子会社プロハンが支払う譲渡代金が、そのまま、さくらやに対して支払うペナルティー、一七億四〇〇〇万円の返還資金となるので、原判決が認定するように、本件株式代金が全て費消されたことから、被告人自身、本件株式譲渡が解消されることを予想していたとは認められないとするのは、明らかに事実誤認と言わざるを得ない。
第五、量刑について
一、弁護人の主張と量刑との関係について
1、弁護人の本控訴趣意書における主張の最重点は、本件株式の帰属主体は、被告人ではなくトスであること、仮に、そうでないとしても、被告人には、本件株式の帰属主体がトスであると誤信、誤認した事実の錯誤があり、そうした錯誤に陥ることについて相当の事情が存在することから、本件脱税の故意・犯意を全く欠くに至ったことである。この結果、被告人には、「無罪」が言い渡されるべきである。
しかし、右いずれの主張も認められない場合においては、被告人には、「株式保有率一五パーセント未満の株式の譲渡は非課税」という非課税要件の適用につき、法律の錯誤(あてはめの錯誤)があり、そのために違法性の認識を欠くに至ったのであり、刑法第三八条第三項但書により、その刑が軽減されるべきものである。
また、しかし、法律の錯誤さえも認められないとしても、被告人の本件脱税行為そのものが、極めて拙劣、無計画・無配慮な場当り的で、杜撰なものであることから、その犯意は前記詳述した事情から存在すると認められても極めて微弱であり、原判決の量刑は、不当に重いものと言わざるを得ない。
よって、弁護人は、原判決の量刑が、不当に重いものであることを、ここにおいて、念の為、予備的に主張する。
二、情状についての原判決の指摘と、その批判
1、原判決は、被告人に所得税ほ脱行為があったとして、更に量刑の判断の中で、次のような事情を指摘する。
(1) ほ脱額が極めて高い
(2) 態様は、他人名義にして株を分散させ、名義人の株数を課税対象にならないように画策し、計画的かつ巧妙である
(3) 動機は、被告人経営の会社の事業資金・返済資金、更には被告人個人の借入金返済資金を得るためのもので、利己的である
(4) 本件事件発覚後、証拠隠滅工作を行い、犯行後の情状は悪質である
(5) 被告人には、捜査段階、公判段階を通じ、否認したり、新たな主張をし、不自然不合理な供述に終始しているが、改悛の情が認められない
(6) 被告人は修正申告をしたものの一切納税していない
2、しかしながら、前記量刑の判断は、次のとおり是認できるものではない。
(一) 前記(1)のほ脱額が高いことは、結果的に所得税法の違反が認定されたから、そのような指摘がなされるだけであり、そのことと、被告人の脱税の認識に基づく行為態様とが一致していることを当然に意味するものではない。すなわち、被告人は、本件行為が脱税になるという認識・故意を全く欠いていたから、結果的にほ脱額が高くなってしまっただけなのである。
(二) 前記(2)の「行為態様に関する指摘」は、前述したように、決して計画的・巧妙であるとの評価はできないと言うべきである。本件において、被告人に脱税の故意があり、その故意に基づき、本件のような各態様の行為をなしたというのであれば、この行為は、杜撰・場当たり的・稚拙・無計画・無配慮・拙劣の限りを尽くしており、脱税を真に狙っている行為者の心情とは余りに離れるものがある。被告人の行為は、あらゆる側面から見ても、決して計画的・巧妙な行為とは言えない。弁護人には、被告人の脱税の確定的・計画的な故意を前提とする限り、本件株式の売買が、他人名義を利用した有価証券の売買であるにもかかわらず、被告人が、何故に、他人名義の預金口座などを開設し、その名義人に名義株式数に相当する売却代金が渡されたような工作をしなかったのか、という大きな疑問があり、その答えは、被告人の主張するように、脱税の犯意は全くなかったからとしか考えられないのである。
(三) 前記(3)の指摘は、動機が利己的であると指摘するものであるが、被告人にとって、その経営するトスの業績をアップさせようと考えることは、むしろ企業人としては当然のことであり、また、自己の借入金の返済に充当するということは、本件の下においては、自己名義の借り入れは、トスの資金需要に基づくもので、経済的実質はトスの借り入れであることから、右と同様、会社ひいてはその会社により生計をたてる者の利益を考えて行動したことは言い得ても、それが利己的であるとの評価は決して的を得たものではない。
(四) 前記(4)の指摘は、犯行後の証拠隠滅工作を指摘するものである。しかし、被告人は、昭和六三年二月頃に、中川宏利との間において、同人が代表取締役をしているジャパンフードが、オーストラリアに申請している漁業権を、トスで共同所有することを目的に、本件株式の一部とジャパンフードの株式を交換したことがあり、さくらやに対する本件株式の譲渡後、トスの右漁業権取得の費用のうち、中川負担部分とを相殺したことがあったため(甲一六号証添付資料4、オーストラリアの事業に関する出金のメモ)、右中川宏利に対し、その旨の確認をしたのであり、そのことが、本件株式の実質的な所有者であることにしてくれと依頼したように誤解されてしまったのである。原判決は、この点を証拠隠滅工作をしていると指摘したものである。
しかしながら、前述のように、被告人は、本件株式の譲渡代金が、トスとジャパンフードと共同してオーストラリアにおける漁業権を取得するための資金の一部になったことを確認したのであり、脱税行為発覚に対する工作なるものは存在しないし、仮に、誤解を受けるような事情があったとしても、その程度は著しく低いものがある。
(五) 前記(5)の指摘は、被告人が、国税局・検察庁の場で自己の主張を十分に述べることができなかったことを如実に示すものである。被告人は、陳述書、公判供述にあるように、国税庁・検察庁において、自己の主張を説明せんと努力したが、国税庁・検察庁では、自己に有利な証拠の提示を拒否された上で、自己の主張を述べなければならなかったところ、それらの主張はいずれも一蹴されることになった。これらの事情は、被告人の供述調書の中に、被告人の主張が一切述べられていないことから、むしろ明らかである。必ずや主張したであろう主張が、一切存在しないのである。
原判決は、前述したように、被告人の本件株式の帰属主体の主張を、国税局、検察庁の段階で主張していたとは思われない旨認定しているが、被告人は、本件株式の譲渡代金全額をトスに入金し、被告人自身には何らの利得はないのであり、被告人が、本件株式の帰属主体がトスであると主張、弁明するのは当然である。人の通常心理から見れば、本件の場合、本件株式の譲渡代金を自己のために費消していないことを、まず、主張し、弁明に努めるのが本当である。
しかして、被告人は、自己の心情に反する追求を受けて、被告人にとっては、何が問題点で、何が本件における重要な要素であるのかが判断できず、その状況は、原審の公判が始まった段階においても同様であった。原審の弁護人も、右のような状態の被告人の説明に、なかなか要領を得ず、被告人の主張を基礎づける物的な証拠もない状態で、原審の第一回公判に臨むしかなかったのである。
したがって、自己の心情に反する追求を受ける被告人は、すべての証拠書類が押収され手元に残されていない状態で、迷いを持って、さまざまな主張をしたもので、決して不自然・不合理な主張をしようと考えて主張したものではないのである。また、被告人には、もともと脱税という認識が全く欠落していたから、自己に有利な証拠を作成することも、保有することもなかったのであり、そのことから、自己の行為及び関係証拠を説明する中で、つじつまが合わなかったりすることは当然のことで、不自然・不合理と思われる箇所が散見されることは、本件の捜査態様の下においては、むしろ当然のことなのである。こうした被告人の対応からは、被告人が本件行為をなす時、及びその後に、何らの隠滅工作等をしていなかったことを、却ってうかがわせるものが強く推認されるものがあると言える。
(六) 前記(6)の指摘によるように、被告人は、修正申告をしたものの現在のところ一切納税をしていない。この原因は、被告人に、これを支払うだけの経済的余裕がないためである。被告人は、原判決も認定するように、本件所得税の課税対象とされるさくらやの株式譲渡の売買代金を、すべてその経営するトスのために使用しており、被告人が手元に確保したものは一切ない。逆に言えば、被告人は、自己に所得税が課税されるという認識・意識を一切有しておらず、結果的に、本件ほ脱税額をあらかじめ準備しておく等の考えを、全く有してなかったのである。そして、その結果、被告人はこの納税をできないでいるのである。
第六、結論
一、以上、縷々述べてきた理由により、弁護人は、被告人には無罪であると確信する。その理由は、詳細に主張したとおり、本件株式の帰属主体は、トスであり、被告人ではないからである。仮に、そうではないとしても、被告人は、帰属主体をトスであると誤信、誤認した事実の錯誤があり、帰属主体に関する事実の認識を欠く至ったもので、脱税の故意がなく、これまた無罪とならざるを得ない。
そして、原判決の認定するところは、いずれも証拠の取捨選択・信用性の判断・信用力の判断において誤ったものがあり、とりわけ形式的な会計原則を安易に本件に適用した重大な誤りがあり、いずれも肯認できるものではない。
二、仮に、万々が一、右無罪主張の理由がないとしても、被告人は、非課税要件の適用にあたり、法律の錯誤があり、ひいて違法性の意識を欠くに至り、且つ、右違法性の意識を欠くことに相当の理由があるので、その刑は減刑されるべきである。
三、仮に、万々々が一、被告人が有罪とされた場合の情状については、前記した弁護人の情状に関する主張のほか、被告人は、自己に税法に関する知識がなかったことから数多くの誤解を抱いてしまったこと、そのため、国税局や、検察庁、それに裁判所に対し多大な迷惑をかけたことに、率直な反省の情があることを指摘したい。しかしながら、前述したように、被告人の本件犯行には、税法に関する知識の乏しさ、無自覚な面がうかがえこそすれ、むしろ、その行為、拙劣・無計画・無配慮、杜撰極まる行為と言うべく、原判決の、本件犯行が計画的、悪質な犯行との指摘は当を得ていない。
また、被告人が無罪の主張をしていること、会社の経理処理や所得税法について多くの誤解を持っていたこと(いること)から、その主張に、不自然・不合理と思われる部分が存するかもしれないが、それは被告人の理解不足・認識不足に基づくものであり、悪質な情状と捉えるべきではない。
四、以上から、前記一で述べたごとく、被告人には無罪の判決を賜りたい。
仮に、被告人の所為が、所得税法違反の行為に該当すると言うのであれば、前記二で述べたごとく法律の錯誤ひいては違法性の意識を欠いていたこと、及びその欠如に相当な理由があったことから、刑の執行を猶予する判決を賜りたい。
仮に、右法律の錯誤が認められないとしても、前記三で述べたごとく、被告人の本件犯行については、その犯意は極めて微弱であり、態様も計画的、悪質な行為とは到底言えず、かつ、自己の利得をはかるものではなかったので、原審の量刑は不当と言うべく、本件においては、被告人をして長期の拘束の中で更生せしめるべきではなく、社会生活の中、とりわけ、経済的活動をする中で更生せしめ、同時に税金の完納をうながせるのが、相当であると思料するものであり、刑の執行を猶予する判決を賜りたい。